を褒《ほ》めている。そうかと思うと、
「なんだ、お前なんかに、こんな好い花が買えるものか。この好い匂いがわからないんだ。けちんぼう女《め》。」
と、いくら進めても買わない客の後姿に罵《ののし》っている。
「あら、鮮魚《おさかな》が――」
お雪は、鮮魚の店へひっかかって、掬《すく》い網を持ってよろこんだ。
大きな盤台《ばんだい》に、ピチピチ跳《はね》る、地中海の小魚が、選《よ》りどりにしゃくえた。ヒラヒラと魚躰《からだ》をひるがえすたびに、さまざまの光りが、青い銀のような水とともにきらめいた。また一人の少年が、お雪のお小姓《こしょう》のように、すぐにそれを受けとっている。
お雪は、ふと、美しい着物は着ていたが、なんにも、購《か》いたいものも購えなかった、芸妓《げいしゃ》時代の窮乏を思いうかべた。それよりももっと、幼年時代、新京極あたりの賑やかな町を通っても、金魚店の前に立っているだけで、自分で思うように、しゃくって買った覚えのない、丸い硝子玉の金魚入れがほしかった事を、思い出すともなく思いだしていた。
モルガンが払う金を見ていると、夜店の駄金魚を買うのとは、お話にならないほど高い金を、お雪の一時の興味にはらっているのだった。
青い迷送香《まんにょうこう》、赤い紫羅欄花《あらせいとう》、アネモネ、薔薇《ばら》、そして枝も撓《たわ》わなミモザ。それはお雪の手にもモルガンの小脇《こわき》にも抱えこぼれ、お供の少年の、背中の籠にも盛りこぼれるほどだった。
「この花を、室中《へやじゅう》へ敷いて、お雪さん休みます。」
と、モルガンはいっているが、黄金《こがね》色の花が、みんな金貨のような錯覚をお雪に与えた。ダイヤモンドばかりでなく、自分の身からも光りが発しるような気がした。四万円で購《か》われた身だということに、今まで妙に拘《こだ》わっていたのさえ変な気がした。
こんなに親切にしてくれた男はあったか――お雪は、ミモザの花に埋もれたようになって、椰子《やし》の木影のベンチに、クタクタといた。
情人《おとこ》はあった。楽しかった人と、悲しかった人と――けれど、モルガンのような親切な男は、ない。
はっきりと、ない、と心にいって見ると、ふと、日光《ひかげ》が翳《かげ》ったように、そうでない、みんな親切なのだったのではないかと、はじめて気がついた。
楽しかった人――それは粋《いき》なことを書いていた、筆の人だった。悲しかった別れの人、それは京大法科の学生だったが、大阪の銀行にはいった人だった。
あの人たちは、モルガンが、こんなに良くしてくれるのを知って、わたしを幸福に暮させようとしてくれたのかも知れない。
そう考えると、お雪はホロホロとした。言葉もわからない外国へわたしをやってしまうなんてと、怨《うら》んだ事も、馴《な》れて見れば、今日のような日もある――
お雪の心は、悲しいほど柔《なご》まっていた。
一生をモルガンにまかせて、何処ででも果《はて》よう、国籍は、もう日本の女《もの》ではないのだという覚悟が、はっきりした。
「パリと異《ちが》って、こんな明《あかる》いところでも、そんなに淋しいのですか。そのうちにまた京都へ行きましょう。」
モルガンは、お雪が望郷の念に沈んでいるのだと思って慰めた。
「いいえ、決して淋しくありません。」
どういたしまして、心淋しかったのは、かえって京都にいた時ですとお雪は言いたかった。それは、モルガンがお雪と結婚して米国へ一緒に立ってから、一年ほどして、京都へ遊びに帰った時のことだった。南禅寺の近く、動物園のそばの、草川《くさかわ》のほとりの仮住みの別荘へ、
「あんた、油断してはならへんがな。」
と注進するものがあって、風波が立ちかけたことがある。
「あんた、先度《せんど》お出《いで》やはった時に、わてに口かけときなさりながら、島原《しまばら》の太夫《たゆう》さん落籍おさせやしたやないか。いえ、知っとります、横浜へ、あんたさんの後追いかけて、その太夫さんがお出《いで》やしたことも。よう知ってますがな。」
と、やかましいことになったのだった。まだ、お雪の話が纏《まと》まらないうちに、島原遊廓の、小林楼の雛窓太夫《ひなまどだゆう》を、モルガンが、内密で、五百円で親元《おやもと》根引《ねび》きにさせたことを持出して、お雪はその時のことも、本当だろうと気にしたのだ。
一年ぶりで、花の春の、母国へ訪ずれて来たお雪は、知る人も知らぬ人も、着物も、匂いも、言葉も、懐《なつか》しかったので、忙《せわ》しなく接していた。恰度《ちょうど》日本は、露国との戦争に、連戦連勝の春だったので、草川の家の軒にも、日米の国旗を掲げて、二人は賑《にぎや》かな心持ちでいた。
折もおり、丸山公園の夜桜も盛りであったし、時局
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