の影響で遠慮していた、島原のものいう花の太夫道中も、その年は催おされた。
道中の真っさきには、若手の芸妓が綱をとって花車《だし》が曳《ひ》き出され、そのあとへ、先頭が吉野《よしの》太夫、殿《しんが》りが傘止めの下髪《さげがみ》姿の花人《はなんど》太夫、芸妓の数が三、四十人、太夫もおなじ位の人数、それに禿《かむろ》やら新造《しんぞう》やらついて練り歩くのを、外国人の観覧席は特別に設けたという後だったので、お雪は雛窓のことを思い出して、カッとなったのだった。
――あたしの顔をつぶすのか――お雪は外出するのも厭《いや》な気持ちになってしまった。
お雪には、モルガンに、他に増花《ますはな》が出来たという噂《うわさ》がたつことが、何よりも愁《つら》いのだった。
だから、あんなに恋しかった日本も京都も、長居する場処でないとなると、フランスに帰ろうというよりほかはない。
「どうして、アメリカへお出《いで》にならないんです。」
と聞かれでもすると、モルガンが、フランスが好きなのですと答えたが、其処《そこ》には、この夫婦が口にしないで、いたわりあっている、夫婦の間でも秘密にしていることがあったのだ。
――姉《ねえ》さんたちも、お母さんも、楽々と暮しているようだ――
それで好《い》いのだ、わたしに後の心配はすこしもない。とお雪は叫びたかった。四万円の身《み》の代金《しろきん》で姉さんは加藤楼の女将《おかみ》になっている。百五十円の月手当は老母《としより》の小遣いには、多いからとて少なくはない。
お雪は、ミモザの花と日光の黄金の光りのなかに、蜂《はち》のように身軽にベンチから跳ねおきて、
「さあ、もう、あたしは明るくなった。」
と、しっとりと濡《ぬ》れた心を、振りゆすって言った。
「カジノへ行って見ましょうか、あたしでも賭《かけ》に勝つかしら。」
「いいえ、僕は、こんな快《こころよ》い気持ちのときに、君の胡弓《こきゅう》が聴きたいのだ。どうぞ、弾《ひ》いてください、梨《なし》の花のお雪さん。」
「それも好いでござんしょうね。」
お雪はさからわなかった。四万円のモルガンお雪と唄われたローマンスは、胡弓の絃《いと》のむせびが、縁のはじまりでもあったから、モルガンも今、自分とおんなじような思出にひたっていたのだなと、
「室《へや》へ帰って弾きましょうか、此処へ持って来ましょうか。」
「岸はあんまり人がいすぎるね、馬車も通るし。」
「でも、みんな、知ってたことですもの。」
お雪がほほえんでそう言ったのは、自分たちの情史は、あんなに評判されたからという意味だったので、モルガンは愉快に笑った。
――お雪が、二度と語るまい、また、弾くまいと、その時、モルガンと自分との恋のいきさつを、胡弓の絃に乗せて、あの、夢のような竜宮、碧藍《みどり》の天地へ流したそれを、かいつまんで伝えればこんなことになる。
京都の、四条の橋について、縄手《なわて》新橋|上《あが》ルところに、小野亭というお茶やがあった。外国人ばかりをお客にするので、そこに招《よ》ばれる妓《こ》を、仲間では一流としない風習があった。
鴨川《かもがわ》をはさんで、先斗町《ぽんとちょう》と祇園。春の踊りでも祇園は早く都踊りがあり、先斗町はそれにならって鴨川踊りをはじめた。そのまた祇園の歌妓《かぎ》、舞妓《まいこ》は、祇園という名の見識をもたせて、諸事|鷹揚《おうよう》に、歌舞の技業《わざ》と女のたしなみとを、幼少から仕込むのだった。
縫いの振袖に、だらりに結びさげた金襴《きんらん》の帯、三条四条の大橋を通る舞妓姿は、誰《た》が家《や》の姫君かと見とれさせるばかりだった。そうした舞妓時代を経ないものは、祇園の廓内《くるわうち》でも好い位置を保てないのが不文の規則なのだ。出入りのお茶やにも格があったのだ。
十九のお雪に、小野亭の仲居《なかい》がささやいた。
「あんたを、あの外国人が、ぜひ梅《うめ》が枝《え》に連れて来ておくれと言うてなさるが――」
梅が枝は円山《まるやま》温泉の宿だった。
「モルガンさんいうて、米国の百万長者さんの、一族の息子さんやそうな。」
日本の春を見に来たモルガンは、沢文《さわぶん》旅館の滞在客で金びらをきっていた。
二
金持ちや美男に、片恋や失恋などがありましょうかと、簡単にかたづけられてしまいそうだが、恋というものの不思議さは、そこだといえないでもない。
およそ、見るほどのものを陶然とさせ、言い寄られた女性たちは、光栄とも忝《かた》じけなしとも、なんともかとも有難く感じ奉《たてまつ》ったあの『源氏物語』の御《おん》大将、光る源氏の君の美貌《びぼう》権勢をもってしても、靡《なび》かなかった女があったと、紫式部が、当時の生活描写を仔細《しさい
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