た、面白がって、あてと、モルガンのことばかり書き立てずに、親身に考えておくれやす。あて、どうしても嫌どす。」
縮緬《ちりめん》のじゅばんの袖口がちぢれるほど、ハンケチとちゃんぽんに涙を拭《ふ》くのだが、相手は、
「そんなことは、他《よそ》へいっていえよ。僕が泣かれたって、どうにもならない。お母さんたちのいう通り、うんと吹っかけて見るんだな。本当に惚れてなきゃ、いくら米国《アメリカ》人だって酔狂で大金は捨てやしまい。」
お雪は、そんな相談を、心から思っている、修業盛りの学生にきかせて、頭を乱させる気はないので、その人には、なるべく、きかれても隠すようにしているのだった。
で、正妻でなくっては――から、養子に来る気ならば――になり、最後に四万円と切り出した。
四万円――現今なら、その位のお鳥目《ちょうもく》ではというのが、新橋あたりにはザラにあるということだが、日露戦役前の四万円は、今からいえば、倍も倍も、その倍にも価する金《かね》の値打があったのだろう。赤坂の万竜《まんりゅう》は、壱万|円《りょう》で、万両の名を高くしてさえいる。
祇園のある古い女《ひと》がいった。
「世界大戦のあとで、なにもかも三倍になったので、パイのパイのパイという唄《うた》がはやりましたなあ、あれは倍の倍の倍ということなのどすえ。」と。
その、パイのパイのパイ時代になると、舞妓の帯も竜の眼にダイヤの大きなのが光るようになったが、モルガンはお雪に、四万円を、突然ズラリと並べたのではない。
金の封を切って、ばらまかなくては引っこみのつかない場合にせり詰ってもさすがにモルガン氏は、元禄《げんろく》の昔の大阪の坊《ぼ》ンち亀屋忠兵衛のように逆上しないで、静に、紐育《ニューヨーク》から顧問の博士を呼んだ。ピケロー博士というのは法律か、経済学の人なのであったろう。
モルガンその時しずかに相談役を呼んだのも、もはや三年越しの恋ではあり、四万円の値札が付いたからには、他から物好きな競争者が出るまでは、ともかく無事、よその手生《てい》けの花となる憂いはないと考えたのでもあったろう。
で、第一条件の正妻は異議なし、第二の養子婿入りは絶対に無理であるから撤回、第三の問題は根引きの金は二、三千円から段々に糶《せり》上げて、即金二万円、あとは二千五百円ずつの月賦払いというのから、三万円即金の残り月賦と顧問氏は、算盤《そろばん》をはじきだした。
出るな、と見込んだからでは決してあるまいが、そうなるとお雪派の策士は、ますますもって四万円即金を頑張《がんば》る。
ジョージ・モルガン氏、お雪さんを見初《みそ》めたのは、勘平さんの年ごろだったが、その時卅四歳、纏《まと》まりそうでなかなかまとまらないのでオスヒスとなって、ある晩、ピストルをポケットに忍ばせ、
「こんなにスローモーションでは堪《たま》りません。蛇《へび》の生殺《なまごろ》しというものです。それというのも、お雪さんの心がぐらついているからです。わたしは死にます。」
それは全く真剣だったので、お雪は途方に暮れてしまった。
「あなたを、そんなに苦しめるのもあたしからですから。」
と、止めていたお雪の方がヒステリックになって、川の岸に立った。どっちたたずの身の、やる瀬なさに、身を投げて死んでしまおうとしたのだ。
顧問博士もびっくらしたのであろう。早速四万円を取り寄せることになった。
そんなこんなが、古風な祇園町の廓中を震撼させた。
「まあ、お雪はんのこと聞きなはったか?」
と、寄るとさわるとその噂だ。
「四万円だっせ。」
豪儀なことや、という女《もの》もあれば、あんなに厭がってたのだから、あてが代っても好いというふうになっていった。
「ようおすな、四万円。」
「そうどすな、悪うおへんな。」
花柳界ばかりではなくなった。京都、大阪、東京――全国的な話題になった。
「噂が立ってしまってから、打明《うちあけ》るのは愁《つら》いが、あて、どうしたら好いのか――」
お雪はある日、末はこの人の夫人《おくさん》にと、はかない望みを抱いていた、情人の机のかたわらに、身をすくめて坐っていた。
「僕はきいていたよ。君の出世を悦んでいるくらいだ。」
と、二十九歳になる、京大法科に通っている、鹿児島生れの、眉目《びもく》秀麗な、秀才はいった。
「僕に尽してくれたのは有難く思っているが、果して、君と一緒になれるかどうかは約束出きないし、今、君がどうしろといったって、どうにもなりはしない。君は行く方が好い。」
お雪はその場合、死のうといわれたら、当惑するには違いなかったでもあろうが、そんなふうに、愛人《おとこ》が理智的にいってくれるのが、突っぱなされたようにさびしかった。
説明のしようのない、ただ侘《わび》しさ――お雪の心に残
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