ま》であるときいては、まるで茶番のように笑殺され、見返られもしなかった。
 一行は十月の異国の寒空に、幾日かの断食《だんじき》を修行し、野宿し、まるで聖徒の苦行のような辛酸を嘗《な》めた。
 シカゴ、ワシントンストリートの、ライリリック座の座主の令嬢こそ、この哀れな、餓死に瀕《ひん》した一行の救い主であった。ポットン令嬢は日本劇に趣味をもっていたので、父親を納得させて川上一行を招くことにした。座主はお嬢さんの酔興を許しはしたが、算盤《そろばん》をとっての本興行は打てぬので、広告などは一切しないという約束のもとに、とにかく救いあげられた。
 座主の方で広告はしないとはいえ、開《あ》けるからには一人にでも多く見物してもらいたいのが人情である。そこでどんなに窮した場合にも残しておいた、舞台で着る衣服|甲冑《かっちゅう》に身を装い、おりから降りしきる雪の辻々、街々《まちまち》を練り歩いて、俳優たちが自ら広告した。絶食しつづけた彼れらが、重い鎧《よろい》を着て、勇気|凛然《りんぜん》たる顔附きをして、雪の大路を濶歩《かっぽ》するその悲惨なる心根――それは実際の困窮を知らぬものには想像もつきかねるいたましさである。舞台に立って、児島高徳《こじまたかのり》に投げられた雑兵《ぞうひょう》が、再び起上って打向ってくるはずなのが、投げられたなりになってしまったほど、彼らは疲労|困憊《こんぱい》の極に達していた。百|弗《ドル》の報酬を得てホテルに駈込《かけこ》んだ時には、食卓にむかった誰れもかれも、嬉し泣に、潸々《さめざめ》としないものはなかったという。
 一座はその折、女優がなかったために苦い経験をしたので、奴は見兼ねてその難儀を救った。義理から、人情から、それまで一度も舞台を踏んだことのなかった身が一足飛びに、勝《すぐ》れた多くの女優が、明星と輝く外国において、貧乏な旅廻りの一座のとはいえ、一躍して星女優《プリマドンナ》となったのである。しかし、暫くの間はほんの田舎《いなか》廻りにしか過ぎなかったが、かえってそれは、マダム貞奴としての要素をつくる準備となったといってもよいが、一行の難渋は実に甚だしかった。ボストンへ廻って来たおりには、心労の結果川上が病気に罹《かか》り、座員のうち二人まで異郷の鬼となってしまった。
「俺《おれ》が全快するまでは下手《へた》なことをするな。」
 川上は病
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