のお仲間にしてはお氣の毒な氣のするほど立派な、小林一三氏のお口から、最近二度ばかり妙なことをきいた。
 一度は久米正雄氏の渡歐送別會の席上だつたが、その時はあんまり氣にしなかつたのでわすれてしまつたが、十二月二十日東京會館で松竹の大谷、白井兩氏の祝賀會が終つたあと、ふとした座談のはしが耳に殘つてゐる。
 控室の隅の長椅子の前に、菊池寛氏とあたしと三宅やす子氏とが居た。そこへ小山内氏が來て――その時話したのが最後となつたが――「毛剃」(歌舞伎座、左團次所演)を見てくれるなら早く行かないと元船のところが五分位で幕になるからといはれた。それからまた高橋(左團次)が家内が雜誌へ何を話したかと心配してゐたが、などと話してゐた時、山本有三氏が寄つて來られ、その他の人と小林氏とがあつた。その時小林氏はあつさりとかういふ意味のことをいつた。
「今に役者がえらくなると、脚本作家なんかは要らなくなる。あつたところが、ああ書けかう書けと注文される位なものだ」
「そんな馬鹿なことはない」と否定する山本氏の聲が際立つてきこえた。菊池氏や小山内氏は笑つてゐた。
 思ひ出すとその前に、テーブルスピーチでも小林氏は俳優高級論をとなへてゐた。今よりももつと高給を彼等に與へよといふのであつた。
 その場にもつとも多く――殆んどといつてよいほどゐた俳優諸氏をよろこばせるための資本家のお上手と見ればなんでもないが、また、おだてられて、さうだと思ふ役者もあるまいが――。
 役者全體がシエクスピアになるものではない。最も俳優が、全然違つた方面から巣立つたらば知らないことだが――だが、それほどの人材ばかり出たら、傀儡《くわいらい》となつて叫び狂ふ自己の職業に滿足するかどうか?
 小林氏もまた、大劇場をもつ抱負《はうふ》のある事を述《の》べられた。これは直ぐにも實行力のある人の仕事であるから、確固たるもので、早晩實現されるものに相違ない。願はくば、消滅した國立劇場の如く、無代《たゞ》ともゆくまいが、安くしてください。但し俳優高級論とは一致しまいが――
 これは小林氏にお願ひする。
[#地から2字上げ](「女人藝術」昭和四年二月號)



底本:「桃」中央公論社
   1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「女人藝術 昭和四年二月號」
   1929(昭和4)年2月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月7日作成
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