憎々しく言ふ。だから、此處へ、劒法の極意といふやうな譬へをもつて來ても、をかしくはないでせう。
敵を突くには斬られるつもりで――
そこで悟つて曰く、
『操縱するとは操縱されること。』
これでもう、この『良人操縱《りやうじんさうじう》』といふテストはすんだやうなもの、わたしはのんき[#「のんき」に傍点]に、花を見、空をながめ、小鳥の巣の卵を覗いてゐる。
ま、お茶を一杯。
すつかり青葉になつて、五月の風が吹いてゐる。青葉をもめば青い液《しる》が出るやうに惱めば思ひはかぎりない。が、何ごともそれにばかりぴつたり執しすぎると、自分の重苦しさに堪へられなくなる。結局墓穴へたどりつくまでの旅を、一日一日と歩くなら、お互ひに氣もちよくゆくこと。伴侶《はんりよ》といふ言葉には味がある。
三上於菟吉の『崇妻道歌《すうさいだうか》』によれば、彼も細君操縱《さいくんさうじう》については干物《ひもの》にしてたべるところまで悟入《ごにふ》してゐる。
一生の重荷となれば、憎くもなり、投《はふ》りだしたくなる方が道理で、これは『細君《つま》』であるからの退屈ではない。花火的の情熱の對手《あひて》なら
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