雪つもる夜の明星かとばかり紫匂ふダイヤモンド、此|指輪《ゆびわ》は彼人の手に日頃光しそれよ白ばらは二人が紀念《きねん》の、さゝやきし其時の息やこもるなつかしやとばかりつく息も苦氣《くるしげ》なり。
 兼《かね》が涙ながら來し頃は早暮て、七間間口に並びしてふちん門《もん》並の附合《つきあひ》も廣く、此處一町はやみの夜ならず金屏《きんびやう》の松盛ふる色を示前に支配人の立《たち》つ居つ、何の奧樣一の忠義振かと腹は立どさすが襟《えり》かき合せ店に奧に二度三度心ならずもよろこび述て扨孃樣よりと、包《つゝみ》ほどけば、父親の好《このみ》戀人の意匠、おもとの實《み》七づゝ四分と五分の無疵《むきず》の珊瑚、ゑりにゑりし花笄《はなかうがい》、今宵の縁女となる可、兄より祝物、それを贈《おくる》心《こゝろ》はと父親も主もばあやも顏見合すれば兼《かね》は堪かねて涙はら/\こぼしつゝ外にも一品|花嫁《はなよめ》には幸に見られねど盃受く靜夫はわな/\と、打ふるひぬ、つき上る苦敷《くるしき》思《おもひ》も涙も共に唯一息眼つぶりてのみ込ば、又盃は嫁に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りぬきらりと取手《とりて》に光物靜夫が目に入し時、花笄の片々する/\とぬけて、かた袖仲人が取つくろふひまも無、盃臺のわきにみぢんとなりておもとの實は、ころ/\と靜夫《しづを》が袴の前にころがりぬ。
 祝儀《しうぎ》すむやそこ/\定紋の車幾臺大川端の家にとむかへり、あわれ病人《やむひと》やあつしくなりにしがあたゝかき息こもるうばらの園《その》うやさまよう、細き息の通ふばかりとや、にぎしき家の外にも淋敷《さびしき》こゝの庭木にも夜一夜《よひとよ》木枯の吹あれて、あくるあしたよりあわれ父翁の面痩《おもやせ》目《め》にたちぬ。

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「うづみ火」のこと
 陸中國釜石鑛山内水橋康子として懸賞に應募し、明治四十三年十一月號の『女學世界第一卷第十五號定期増刊「磯ちどり」才媛詞藻冬の卷・小説』の初頭に掲載され特賞(賞金十圓)を得、又主幹松原二十三階堂(岩五郎)氏に激勵鞭撻の書簡を送らる。當時病後靜養に釜石鑛山所長横山氏家に遊行中の事なり。二十三歳の秋、處女作。未だ「しぐれ女」のペンネームを使用せず。
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底本:「時代の娘」興亞日本社
   1941(昭和16)年10月22日発行
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