つば》もは入《いる》時分秋頃から御隱居樣のはさみの音も聞えず、どうかなされた事かと拾八九の赤ら顏紫めりんすと黒の片側帶氣にしつゝめづら敷《しく》車《くるま》頼《たのみ》に來たお三をつかまえて口も八町手も八町走るさすが車屋の女房の立咄《たちばなし》、どうして/\御庭いぢり所か御本宅にては御取込で御目出度けれど、此方樣《こちらさま》では秋からかけて孃樣の御病氣、御隱居樣の御心配それは/\實に御氣《おき》の毒でならぬ、今年は菊も好《よく》出來たけれど御客も遊ばさぬ位、御茶《おちや》の會御道具の會、隨分|忙敷時《せはしいとき》なれどまるで、火が消たやう、私らも樂すぎて勿體無早く全快《おなをり》遊《あそ》ばすやうにと祈つては居《をる》けれ共、段々御やつれなされてと常にも似ず凋《しほ》るゝに、それは/\知ぬ事とて御見舞もせなむだがさぞまあ旦那樣《だんなさま》は御心配、御可哀想に早く御全快おさせもふし度《たい》、そして又御本宅の御取込とは御噂の有た奧樣の御妹子が御方附になるの、彼宅《あちら》は御目出度事さぞ此宅の旦那樣もどんなにか御うらやま敷《しい》だろふねとの同情、ほむに御隱居樣も御出掛遊ばすのであつた、急《いそい》で御頼申升よ御藥取に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らねばとかけ行に、女房も無言で塵除《ちりよけ》はづして金紋の車念入に拂、あづかりの前掛てうちん取揃《とりそろ》えれば亭主の仕度も出來ぬ、今迄は無沙汰したのが面目無《めんもくない》何と御見舞言た物《もの》やらと、獨言引出したとたんがら/\と淺草の市歸《いちかへり》か勢よく五六臺、前後して通ぬけぬ。
 風は寒《さむい》が好天氣淺草の觀音の市も大當《おほあたり》、川蒸汽の汽笛もたえずひゞく、年の暮近し世間は何と無《なく》ざわめきて今日はいぬの日、明日はねの日とりの日、扨も嫁入ざたの多事《おゝいこと》今宵本宅の嫁の妹|折枝《をりえ》とて廿を一越た此間迄寄宿舍|養《そだ》ち、早くから姉夫婦に引取れて居たので、本家の娘として此處の孫としての嫁入、進まぬながら是も義理と、ひる前に隱居も古銅《こどう》の花瓶と、二幅對の箱と合乘でゆかれた跡《あと》入替《いりかはり》に、昨日花屋から來た松の枝小僧が取にくる、御上《おうへ》の分《ぶん》下《した》の分とわけた御膳籠《ごぜんかご》もは入附添の手代より目録もそれ/\行渡り役目すめば
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