盆を押しかくしたが、苦しがつて吐いた蜜柑の汁が、實《み》が、顏にくつついてゐて、すぐさま露見したことがあるのだ。
「歸つてきて、燦々《さん/\》會で、澤山ためこんでおいた、そつちの演劇《しばゐ》の講義を受けもつてくれない? それに――」
 私はそこで急に思ひついたのだ。それは昨夜《ゆうべ》讀んだ、ロシアで九月一日から十日まで大演劇祭のあることだつた。
「モスクワへ寄つて、大演劇祭に上演されるものをみんな見て來てしまはない? ね、實に好い機會だから。出來るだけ、新しい演劇をためこんできて、今までパリで見たものと對照して話してきかせてくださいね。屹度みんなも期待してくれる。そしてね、ゆつくりと、長く長く實によく貴女《あなた》は見ておいたのだから、日本の芝居と考へあはせて見てね。」
 そんなことを言つてゐるうちに二人《ふたり》は泣いたやうだつた。現實の空想家の眼はぬれた。私は勝手にしやべりつづける。
「わたしは、も一度《いちど》海を越して、ロスアンゼルスへ行くの。」
 其處《そこ》には、この友達が一時非常に仲をよくした田村俊子さんが居るのだ。
「俊子さんは、鈴木さんが(夫君)日本へ來てゐて、突然なくなつたので、大變嘆いて、ひとりでバンクーバに居られないから、ロスアンゼルスは氣候もいいし、上山浦路さんも獨りで殘つてゐるから、そこへ行くといつてよこしたきりなの。」
 一本の齒が拔けるとほかの齒が寒い。女でおなじやうな仕事をしてきた人たちが、みなからいたはられるころに、異境で涙にひたつてゐるのを思ふと苦しい。私は、私なんぞでも、日本に殘つてゐるものは、身をいたはらなければいけないと思つた。私一人の死でも外國に居るさびしい人たちには、一本の齒がぬけたやうに寒く感じられるだらう。で、私は友達にむかつて元氣に言つた。
「俊子さんは、ハリウツドかなんかで、素張らしい映畫脚本でも發表するかもしれない。あの位な腕前は、さうザラにあるもんぢやないから、屹度立直る。」
 田村俊子作とか監督とかいふ映畫が輸入されてくれば嬉しい。私がよろこべば、私を愛してくれる若い女《ひと》たちがヂヤンヂヤン宣傳してくれるにきまつてゐる。さうなると若い男衆たちも追從する。盛んなるかな!
 私は嬉しくなつて笑つた。友達の手を握つて振る恰好をして、自分《じぶん》だけの手を振つた。
「八千公《やちこう》しつかりね、モス
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