いつてくれるかもしれないといふ、八十歳の老爺が狼狽だした目算だつたのだ。
八十歳の老爺は鬼のやうに頑健だつた。彼は、もう末息子もだめ[#「だめ」に傍点]と觀念してゐたのか、孫を殘させて、その孫をしたてあげて家を殘さうとしたので、無病息災な長壽の家の娘に白羽の矢を立てた。すべてが秘密秘密で、惡い病氣のあることは隱されてゐた。娘の方の親は、ただ見かけだけを探つて安心しきつて、娘の幸福だと祝つた。見合をさせたあとで娘さんの母親はハヅンでいふのだつた。透通るやうに色白で、優形で、役者にもない美男だと――
その美男の母親が、巖丈な爺さんの戀女房であつて、その妻君の生家が家中根だやしに肺病で死んでゐるのだつた。そして、その女の生んだ子は八人のうち七人まで、育つては年頃になるとなくなつて、たうとうその女もその病氣で逝くなつたばかりだつた。さうして、さういふ、誠に今からいへば、全く衞生觀念も、鬪病思慮《とうびやうしりよ》もない兩家が結合して、虚弱な初孫を生ませ、すぐに死なせてしまひ、それを悲觀して息子もあとを追ひ、氣の毒な犧牲者のお嫁さんも腸結核《ちやうけつかく》になつてしまつた。
そんなふうな、過つた結婚を、平氣でさせておいて、家の娘は不運だといひ、お前は運のない生れつきだ、折角よいところへ嫁にやつたのに亭主運《ていしゆうん》がわるくて、死別れてしまふなんてと、さも、娘が婿を殺してでもしまつたやうに、生みの母親さへいふのをはばからないほどであつたから、先方は、こんな哀れな犧牲者へ對してさへ情用捨はなかつた。やはり息子の場合と同じく、その腸結核の病者へ對して、跡目相續がしたいならば、田舍から遠縁の男性を探すといふのだつた。もとよりそれは養子で、殘つた嫁にめあはせようといふので、息子たちに懲りたから、こんどはただ丈夫一式で、字なんぞは讀めなくてもよいといふのが婿の資格條件だつたが――流石に嫁になつた娘の兄妹が、勃然と反對した。なんにもいらない、體だけ歸へせと爭つてゐた。角店の大構《おほがま》へも、大名邸ほどの廣い土地も家作も、大資産であるだけ負債も多く、家も子供たちにおなじにすつかり蟲くつてゐたのだつた。そんな煩《わづら》はしい家庭で、無智な婿をもたせられる、病女は、誰が造つたのだといはざるを得ないのに、これもまた、結婚披露宴に、例の「郭子儀」の幅をかけたからだと、變なところへ
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