腰・etc・
遂にドッと窓へ寄る
突然出発の命令が出て、ニワトリの毛を半分むいて捨てる。その半分、裸のかしわが、クックッと逃げる情景
支那の老婆が日向ぼっこして、麦わら細工を縫み乍ら兵隊の行軍を見ている。
軍馬の水をやる、ニイ小輩
五色旗を持つ
空、戦火、黒煙が夕立雲の様
荒れ果てた土の上の烏三羽
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
手紙
(井上金太郎 宛)
十六日の朝になってもまだいつ上陸するのか分りません。
天気晴朗ですが波はべら棒に高いです。荷物船の底に馬と一緒に居るのでクサクて閉口です。此処まで来た以上早く支那の土を踏ンでせめて小便ぐらいしてやりたいと思います。[#地付き](○○ニテ)
今上陸命令が来ました。(十六日夜)
(日本映画監督協会 宛)
遂に僕も「戦争」に参加しました。そして悪運強くマメで居ます。御安心下さい。
○○の敵中上陸から北支派遣が上海派遣と早変りです。此処は南京豆と南京米とそして南京虫の本場です。
(井上金太郎 宛)
揚子江岸に上陸して南京入城に至る迄の一ヶ月間はまことに、はや、タイヘンなもンでした。幸い悪運強くも無事で居ります。御安心下さい。
煙草が無くなると、よもぎの枯葉をきせるにつめて喫います。なかなかよろしい。何処がよいかと言うとよもぎは道端と云わず山と云わず野と云わず南支至る処にあります。いくら喫っても無くならない。それに煙草は稀に一本喫うと直ぐに又喫いたくなる。こたえられません。処がよもぎは一度喫うと当分は喫う気がしません。真とに経済的に出来上ッとるです。欠点は煙草の味がしない事です。まっこう[#「まっこう」に白丸傍点]臭いです。
酒《チュウ》はチャン酒《チュウ》をやります。チャン酒《チュウ》も内地のチャン料理にある老酒もありますが、所謂チャン酒と云うのが大部分です。此奴、アワモリの様なもんです。最初はくさくて飲めませんでしたが直ぐに平気で呑む様になりました。酒もある時には一石も二石もあって顔や手を洗ったりしますが、無いとなると全々無くなります。重いのでそう持って歩けません。水筒に一杯が精一パいです。砂糖をナメル事をオボエました。
南京へ着いて酒保が一日開かれたので、早速一本二十銭のヨーカン五本買ってペロリと平らげて、まだ食いたい気がします。
朝に駒形のドジョウを想い、夕べになるせ[#「なるせ」に傍点]の足を想う、いやもう、真とに食い気一方です。セツナシ!
小津ちゃんから手紙が来ました。元気で結構です。
内地の事は少しも分りません、早慶戦でKOが勝った事を一週間ばかり前に同盟通信のカメラマンに聞きました。
なるせに、水府たばこときせると番茶を送る様に仰言って下さい。お頼みします。
皆様によろしく
十二月二十二日
なるたき村へは手紙を出しません
連中によろしく仰言って下さい
[#「註」略]
(日本映画監督協会 宛)
賀正[#地付き]小津安二郎
南京で会ってお互いの無事を喜んでいます
[#地付き]一月十二日
悪運の強いのが生き残っとります
[#地付き]山中 貞雄
(井上金太郎 宛)
徐州攻撃続いて追撃戦、更に洪水の為各地を転々としてやっと落ちついたのが七月の半ば。そこで、やッと六ヶ月振りに郵便物到着。同時に僕野戦病院入り、いつかニュース映画で兵隊が褌一ツで川を渡るのがありましたね。婦人席なんか大喜びで、あれは受けとッたよと当日のはなし。失礼な! 罰が当ります。
僕の病気の原因は洪水で、あの恰好を一月ばかり毎日続けたからです。
病名は急性腸炎、夕方から少し熱が出ます。六ヶ月分の郵便物がぼつぼつ到着しますが慰問の小包なぞこの腹では到底コナセマセン。それに近頃余り呑みたくもなし、食いたくもなし、帰ッても清水大兄とともに貴方のサイダアのお相手をしたいようなもンです……。(中略)
この体相当以上弱ッとりますので以前のような悪友どものお交際が出来るか、どうか、このところ、もう大変な弱気です。(詳記するを許されませんがこの六ヶ月はコタエマシタ)
近く病院が移動するらしいですから、その時また、お便りします。
協会の諸兄によろしく(七月二十三日)
[#「註」略]
(井上金太郎 宛)
腹くだりで入院なぞと真とに不甲斐ない話のようですが僕としては、身体の続く限りやるだけの事はやった後でブッ倒れたのですから(入院の時軍医さんの前で文字通りヘタヘタと倒れました)俯仰天地に恥じません。結局活動屋の不衛生な日常生活がたたったのだと思います。
僕は……野戦の病院に移されました。……(中略)……この辺りコレラが流行してますので、此処の患者は滅多に済南とか青島とかの病院へは送ってくれないそうです。
僕、病勢は変りなく、熱はなくなりましたが下痢は酷くおもゆとミルクでアゴ伸びるばかり(お粥をちょいと食うともういけません、情けない腹になりやがったものです)けれど懸命に頑張って居りますから此の手紙がそちらへ着く頃には(それが一ヶ月もかかるのでしたら)退院して本隊を追ッ掛けている筈です。御心配御無用。
本隊は最近行動を開始した模様です。多分再び南支方面へ行くのだろうと思います。とても今年中には帰れますまい。……(中略)開封と云う町は想像以上に立派なところで、何でも町の有力者が支那軍の隊長に何万かの金を与えて軍隊を町から撤退させたので町も余り荒れてないそうです。支那で一二と云う支那料理店があると云う話です。退院の時は話の種に出掛けてやろうと思ッて居ります。熱が無くなると忽ち猛烈な食い気です。あれが喰いたいこれが食いたいと浅間しい。次にそのあれやこれやの一部分を書き並べます。急ぎません退院迄にも一度お便りしますからそれはお読みになってからで結構ですからお送り願います。(金は憲坊に頼みました)先づ平野屋のいもぼうの缶詰(ッてのがあるそうです)黒のとろろこぶ、花かつを、懐中じるこ、甘酒の素、なるせの漬物とほーじ茶。ふぐのひれの干したの(大丈夫ですかな?)[#地から1字上げ]以上
なるべく缶に入れて小包は厳重にお願いします。毎度、御面倒ばかりお掛けして相済みません。協会の諸兄によろしく(八月十五日)
それから書き忘れましたが何か本を一冊(何か僕に「やッたらどうや」とお考えになるものがありましたら結構ですが……)
これだけ書くのに便所へ油汗かきに行く事二回、これから第三回目に参ります。一回卅分はかかります。どうも汚ない話で、お許し下さい。
[#「註」略]
(藤井滋司 宛)
(一)[#「(一)」は縦中横] 将棋の【歩】にもいろいろあるが敵王頭にピシリと捨身に打って出る【歩】もあれば、マタ、棋士が手に詰まった時、ひょいと突く【香《ヤリ》】の上の【歩】もある。
王手飛車があろうと桂馬のフンドシがあろうとハシ【歩】は依然
(荒井良平 宛)
(二)[#「(二)」は縦中横] としてハシ【歩】である。
十月廿七日石家荘迄貨車で輸送されて、それから行軍三日、此の辺りの新しき土[#「新しき土」に傍点]はほこりっぽくッて困る。露村《ローソン》にて前線部隊に編入さる。
気候は内地と余り変らないが、夜が冷える。
(稲垣浩 宛)
(三)[#「(三)」は縦中横] (村長、村会を開き村民どもを集めよ)雨が滅多に降らないから空が澄み渡ッて綺麗である。朝、雁の渡るのを見る。お行儀よく並んで飛ンで行った。
名将八幡太郎といえども枕を高くしてよい風景である。そこで我勇敢なる大原隊は来るべき
(八尋不二 宛)
(四)[#「(四)」は縦中横] 戦に備えて日毎演習を行ッている。
ボクも専ら童心にかえッて戦争ごッこに精を出している。米が少ないので毎日芋を喰わされる。三度々々芋である。兵隊はしきりにクサイ大砲を放ツ。
酒は昨日一人四勺ほど(つまり寝てる子
(三村伸太郎 宛)
(五)[#「(五)」は縦中横] を起こすほど)貰った。
露村を後退して又石家荘から汽車で運ばれる事になッた。上海行だとも言うし又青島と言う噂もあるかと思うと確かに北満じゃとぬかす奴もある。丁と出ますか半と出ますかおあとはライシュウ。
(滝沢英輔 宛)
うだる暑さに閉口。
其の後○○の野戦病院に来ている。熱は平熱となったが腹工合は依然悪く、まだ血便が少し出る。トタンに汚ない話で失礼。
兎に角元気で頑張ってる。此の手紙がそちらへ着く頃には、多分退院して本隊を追ッ掛けてる筈。心配無用。
本隊は最近移動する。南京から○○方面へ廻るから先ず年中は帰れんだろうと云う噂。
建坊、キバッテ、エヽ写真、ツクッテヤ。
戦争も一年になると、どうやら本当の戦争らしくなって来たようだ。戦争の感想なぞは、たいそれた[#「たいそれた」に傍点]……矢ッ張り戦争が済んで一年ぐらい経過してからで無いと言えるもンで無いと云う事を泌々思う。
北支宣撫班のはなし[#「はなし」に傍点]を考えていたけれど、脚本の書ける自信が無くなって終った。
爆撃でヒビ[#「ヒビ」に傍点]のイツ[#「イツ」に傍点]た病室の天井を睨み乍ら寝苦しい夜つれ/″\に考えた事、酒の席で武山オジサンにでも談して見て呉れ。
三好氏の「襲われた町」? おもろいのなら儂に残して置いてほしい。
「斬られの仙太」を大河内が演りたがッとッたが、三好氏さえよければやッてみたい。(大詰はこちらに案あり)
時節柄大河内で西郷さんか、乃木さんの一代記八千ぐらいにまとめてやればどうやろか。
また、演舞場で虎ちゃんが「太十」をやッたと云う新聞記事を見て、ふと前進座で光秀をやりたいとも思う。いッそエノケンの孫悟空と逃げて満州辺へロケに来てやろうかとも考えたり、とりとめが無い。
次に食いたい物いろ/\と書く。
わさび漬。味の素。うに。うなぎの蒲焼(鑵詰)ライスカレー(同上)あずきようかん(同)栗のきんとん(同)ほーじ茶、ココア、角砂糖(斯うたくさんは食えんわい)小包は厳重にして置いて呉れ。
くだらん事、いろ/\と書いた。退院までにまた書くつもり。
それから去る四月一日付をもって山中伍長は軍曹に進級しとるからそのつもりで。
諸兄によろしく
八月九日
建坊大兄
底本:「山中貞雄作品集 全一巻」実業之日本社
1998(平成10)年10月28日初版発行
初出:「中央公論」
1938(昭和13)年12月号
※底本の註は、初出時に付されたものと思われますが、筆者を確認できなかったので入力しませんでした。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:野村裕介
校正:伊藤時也
2000年2月18日公開
2003年10月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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