ウを想い、夕べになるせ[#「なるせ」に傍点]の足を想う、いやもう、真とに食い気一方です。セツナシ!
小津ちゃんから手紙が来ました。元気で結構です。
内地の事は少しも分りません、早慶戦でKOが勝った事を一週間ばかり前に同盟通信のカメラマンに聞きました。
なるせに、水府たばこときせると番茶を送る様に仰言って下さい。お頼みします。
皆様によろしく
十二月二十二日
なるたき村へは手紙を出しません
連中によろしく仰言って下さい
[#「註」略]
(日本映画監督協会 宛)
賀正[#地付き]小津安二郎
南京で会ってお互いの無事を喜んでいます
[#地付き]一月十二日
悪運の強いのが生き残っとります
[#地付き]山中 貞雄
(井上金太郎 宛)
徐州攻撃続いて追撃戦、更に洪水の為各地を転々としてやっと落ちついたのが七月の半ば。そこで、やッと六ヶ月振りに郵便物到着。同時に僕野戦病院入り、いつかニュース映画で兵隊が褌一ツで川を渡るのがありましたね。婦人席なんか大喜びで、あれは受けとッたよと当日のはなし。失礼な! 罰が当ります。
僕の病気の原因は洪水で、あの恰好を一月ばかり毎日続けたからです。
病名は急性腸炎、夕方から少し熱が出ます。六ヶ月分の郵便物がぼつぼつ到着しますが慰問の小包なぞこの腹では到底コナセマセン。それに近頃余り呑みたくもなし、食いたくもなし、帰ッても清水大兄とともに貴方のサイダアのお相手をしたいようなもンです……。(中略)
この体相当以上弱ッとりますので以前のような悪友どものお交際が出来るか、どうか、このところ、もう大変な弱気です。(詳記するを許されませんがこの六ヶ月はコタエマシタ)
近く病院が移動するらしいですから、その時また、お便りします。
協会の諸兄によろしく(七月二十三日)
[#「註」略]
(井上金太郎 宛)
腹くだりで入院なぞと真とに不甲斐ない話のようですが僕としては、身体の続く限りやるだけの事はやった後でブッ倒れたのですから(入院の時軍医さんの前で文字通りヘタヘタと倒れました)俯仰天地に恥じません。結局活動屋の不衛生な日常生活がたたったのだと思います。
僕は……野戦の病院に移されました。……(中略)……この辺りコレラが流行してますので、此処の患者は滅多に済南とか青島とかの病院へは送ってくれないそうです。
僕、
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