、客観的な気持でシナリオの台詞を書く場合、それが忘れられようとする。
そして、それを忘れた時の台詞はきっと(映画)になった場合、浮いたものになる。
外国の映画では、此の台詞の点実にねたましく感じる。
煎じ詰めた、而も、たまらなく美感と滋味のこもった言葉が小癪なほど豊富に飛び出し、而もそれ等が一つ残らず(画面)の底にとけて流れて行く。
あそこまで行かねば嘘だと、いつも歯痒く思う。
そして、今さら、自己の生活体験の浅薄をしみじみとかこたざるを得ないのだ。
これは余談になるが、新しい大衆小説から得る台詞の言葉より、古い講談本等に非常に味のある言葉が多い。
古い民謡と、新民謡新流行歌とを対比する様に、現代人の言葉には非常に粉飾が多いが、昔の人の言葉には余分のものがない。
直情的だ。
それだけに短い言葉にも真実がある。短い言葉にも社会が反映しており、思想がこもっている。
スピードが生命の映画では、欠くことの出来ない捨台詞は別として出来る限り無駄台詞をつつしまねばならぬことは誰も知っていることであろうが、そのくせなかなかむづかしいのだ。
言葉の味のことで、ふと思いついたが、酒を飲む者の言葉には注意していると面白いものが多い。
「山中の道楽は酒を飲むことと、映画を見ることだ。」
と言われているのを耳にする。
映画人が映画を見るのが何の道楽だ。
映画人が映画を見、映画を作るのは仕事だ。
酒の場合は?
これにはどう答えてよいか。
兎に角僕は心おきない人と盃を交すのが好きだ。
そして静かなところで、ボツリボツリと話し合っているうちに、酒に酔うことを忘れていつしか相手の、又時には自分の言葉の味に酔っている。
愛酒家の言葉……これが映画の中へ持って行って生かして使えるとなれば、飲酒も亦僕の仕事の一部と言えるのではあるまいか。
呵々!
底本:「山中貞雄作品集 全一巻」実業之日本社
1998(平成10)年10月28日初版発行
入力:野村裕介
校正:伊藤時也
2000年2月18日公開
2003年10月17日修正
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