面に於ては、人格修養の最良手段であろうと思う。
以上に述べたところのものを一言にしていわば、即ち教育の目的とは、第一[#「第一」に傍点]職業、第二[#「第二」に傍点]道楽、第三[#「第三」に傍点]装飾、第四[#「第四」に傍点]真理研究、第五[#「第五」に傍点]人格修養の五目に岐《わか》れるのであるが、これを煎じ詰めていわば、教育とは人間の製造である。しかしてその人間の製造法に就いては、更にこれを三大別することが出来ようと思う。例を取って説明すれば、その一はかの左甚五郎《ひだりじんごろう》式である。甚五郎が美人の木像を刻《きざ》んで、その懐中に鏡を入れておいたら、その美人が動き出したので、甚五郎は大《おおい》に悦び、我が魂がこの木像に這入《はい》ったのだと、なおもその美人を踊らして自ら楽しんだということは、芝居や踊にある。これは自分の娯楽のために人間を造るのである。第二例[#「第二例」に傍点]は、英吉利《イギリス》のシェレーという婦人の著《あら》わした、『フランケンスタイン』という小説にある話だ。その大体の趣意を一言に撮《つま》めば、ある医学生が墓場へ行って、骨や肉を拾い集め、また解剖
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