たいといって往くようになろう。マア世の中はそんなものである。要するに一方に於て職業を軽蔑する観念が大いに除かれなければ、どれほど職業教育に力《つと》めたところで効能が薄かろう。
以上教育を施す第一[#「第一」に白丸傍点]の目的が職業であることを述べて来たが、然るに第二[#「第二」に白丸傍点]にはまたそれと反対の目的がある。それは即ち道楽である。道楽のために教育をする、道楽のために学問をすることがある。これはちょっと聞くと耳障りだ。けれども能くこれを味《あじわ》ってみると、また頗る面白い、高尚な趣味があろうと思う。人が学問をするのもこう行きたいものだ。来月は月給が昇るだろうと、職業的勘定ずくめの学問をすると、まるで頭を押えられるようなものだ。けれども道楽に学問をすると、そういうことがない。譬えば育[#「育」に丸傍点]の字の上の子[#「子」に白丸傍点]が、何だか芳しい香気がするぞ、美味《うま》そうだ、ちょっと舐《な》めてみようと思って、段々肉[#「肉」に白丸傍点]の方へ向って来る、即ち楽《たのし》みを望んでクルリと廻って来るのであるから、これほど結構なことはない。道楽のために学問することは、一方から考えると非常に高尚な事である。然るに日本人には道楽に学問するという余裕が未だないといっても宜い。
日本人は頭に余裕がない。西洋人には余裕があることに就いていえば、かの英吉利の政治家を見るに、大概の政治家は何か著書を出すとか、あるいは種々の学術を研究している。今の首相も、せんだっての新聞に載せてあるところを見ると、何とかいう高尚な書物を著《あら》わしている。グラッドストーンの如きは、あれほど多端な生涯を送ったにもかかわらず、常にホーマアの研究をしていた。故《もと》の首相ソールズベリー侯は自宅に化学実験室を設けておいて、役所から帰ると、暇さえあれば化学の研究をしていた。前首相バルフォアの如きは二、三種の哲学書を著している。然るに日本の国務大臣方にはどういう御道楽があるか。学者の読む真面目な書物などをお著わしになったことは一切ないという話である。それならどんな事をしてお出《い》でになるか、能くは分らぬ。酒席で漢詩でも作らるるが関の山であろう。してみると道楽のために学問をすることは、日本では未だ中々高尚過ぎるのである。その一つの証拠には、『女道楽』、『酒道楽』、『食道楽』というよ
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