で教へるやうにしたらどうであらう。されど一歩進んで考へると、車夫が生理學を學び、一寸人の脈でも取れるやうになれば、矢張り車を挽いて居るだらうか、恐らく挽いてはゐまい。脈が取れるやうになると、もうパツチと半纏とを廢めてしまひ、今度は自分が抱車に乘つて開業醫に成りはせぬか、それが心配である。して見ると車夫なら車夫と云ふ職業で、彼等を捨て置いて、車夫以上の智識を與へてはならぬ。夫れと同じ事で、商業だらうが、工業だらうが、或は教育學であらうが、其他何の學問であらうが、人を一の定まつた職業に安んじて置かうと思へば、其の職業以上の教育をせぬやうに程度を定めねばならぬ。然るに之は甚だ壓制なやり方で、到底不可能ではあるまいか。維新以前は、左官の子供は左官、左官以外の事を習つてはならぬぞと押へ附けて居たかなれど、時々左官の子にして左官に滿足しない奴も出て來た。或はお醫者さんから政治家が出たり、左官から慷慨悲憤の志士が出たりした。之は何かと云ふと、教育と云ふものは程度を定め、之れ以上進んではならぬと云つて、チヤンと人の腦膸を押へ附けることの出來ないものであるからだ。
少年が大工にならうと思つて工業學校へ
前へ
次へ
全43ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新渡戸 稲造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング