に、プラトーの如く、その師の胸裡に雑然として存在したるものを取りて、雄弁荘重なる言語に托するものあり。而して後、アリストートルの如き者ありて、先人が悟覚し、また感応するままに語りしものをば、形式法則に配列す。もしアリストートルにして、ソクラテスの如く、霊智に従うことに忠実ならんか、また師の心に同情すること、プラトーの如くならんか、彼の科学哲学に於ては毫も非難すべきものなけん。されど彼れは感応を犠牲としても科学的ならざるべからず、霊的省観を失うとも、哲理的ならざるべからずとするものならば、彼れたるもの果して人教――完《まった》き意義に於ての人教――の最大産物なりや、これ甚だ疑うべし。
 我が教育は全力を捧げ、霊性を犠牲として、アリストートルの業をなしたり。これ一椀の羹《あつもの》に、長子の権を鬻《ひさ》ぐものなり。これ我種族伝来の最善なるものに不忠なることを示すものなり。これ単に欧洲教育の猿真似なり。これ即ち、吾人が今認めて優者とする民族に対する謬見――甚だしき謬見より生ず。彼のアングロ、サクソン人種が雄大を致す所以《ゆえん》のものは何ぞや、その発達の秘義とは何ぞや。
 人は、アングロ、
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