代々木に嫁《とつ》いでゐる気の弱い妹などが電報を受取つて、驚くさまなどが思ひ描かれてゐたのだ。が、悲しくはなつてゐても、私の気持はまだそんな風に、人の悲しみを思ひやると云ふ程度の余裕があつた。さうして、姉が死んだら、もし姉が死んだら、兄の結婚も延びて了ふだらうなどと、信代さんとの結婚が来月に迫つてゐた、兄のことなども一寸の間頭に浮んでゐたのだつた。と、不意に目の前の菊坂を、金色の造花や、銀色の造花を持つた人足が通つて行くのが見えた。続いてあとから、普通の花を持つた葬儀社の人足や、幌《ほろ》をかけた俥《くるま》などが幾つも幾つも通つて来たのだ。
 ハツとして、「悪いものが通る」と、思はず私は呟いた。兄も私もやや暫く足をとどめて長い葬式の列をやり過さねばならなかつた。私は唇を噛《か》んでゐた。腹立しく足駄の先で路の雪を蹴《け》つてゐた。
 葬式をやり過して了つたあとでは、兄も私も前より急ぎ足になつて真砂町の方へ坂を登つて行つた。姉の命が気づかはれて来るのを、私はどうしようもなかつた。死にはしまいか、死にはしまいかと思はれて来るのをどうしようもなかつた。で、癪《しやく》に触《さは》つて、故意《わざ》と逆に、「もう死んでゐるのだ。姉さんはもう死んで了つてゐるのだ」と、自分で自分に思ひ込ませようとした。心の底では、さう思ひ込ませてさへおけば、それが何時もの先走りした愚な私の思ひ過しになつて、木村へ馳《か》けつけた時分には、よくそんな病人にある奇蹟が起つてゐて、駄目だと医者に宣告された姉が危篤の状態から逃《のが》れてゐる、と云ふ風なことになつてくれさうなものだと、虫好く考へながら……。
 電車路に出ると、「ぢや電報を打つて来るから」と云つて、兄は私とわかれて、真砂町の停留所の方へ行き過ぎようとした。
「兄さん」と、私は呼びとめてみたが、別に兄に用があると云ふのではなかつた。兄と分れることが淋《さび》しかつたのだ。ふりかへつた兄に、「いや、何でもないんだ」と云つて、三丁目の方へ歩き出した。弱々しい気持になつてゐた。俯《うつむ》いて歩いてゐると、疲れ切つた目の中に、チクチクとしみるやうに雪が光つた。私は急ぐ気力もなくなつてゐた。これから、ゐもり[#「ゐもり」に傍点]の黒焼屋などへ薬を買ひに行かねばならないことが、下《くだ》らない道草の気がしてイヤでイヤでならなかつた。イボタの虫だなんて云ふ訳の解らない売薬が何で瀕死《ひんし》の病人に利《き》くはずがあらう。幾ら母の云ひつけであらうと、そんなものを買ひに行つてゐる間に若《も》し姉が死んで了つたらどうしよう。かう思ふと私は腹が立つてならなかつた。けれども、背後から、厩橋《うまやばし》行の電車が徐行して来た時には、私は乗ることに運命づけられてゐるかのやうに、その電車に飛び乗つて了はない訳に行かなかつた。
 電車は満員であつた。本郷三丁目で留《とま》ると、下車する人々のために長い間|手間《てま》どつた。私は人に押され押され、車掌台に立つて往来を眺《なが》めてゐた。目の前に建て連《つら》なつた店々の屋根から、軒から、解けた雪の雫《しづく》が冷たさうにポタポタと落ちる。かつ[#「かつ」に傍点]と陽を受けて、雫に濡《ぬ》れた飾窓《ショウウヰンド》のガラスが泣いたやうにギラギラ光つてゐた。時折は、本郷|巣鴨《すがも》行や本郷|白山《はくさん》行の電車が、勢よく響を立てて赤門の方へ走つて行くのが見えたけれども、さうしてあれにさへ乗つて了へば、直ぐ木村の家へ行けるのだと思つたけれど、何と云ふ理由もなく私は、あんな勢の好い電車には到底乗ることが許されない自分なのだと云ふ風な気がして、何時までも動き出さない電車に苛々《いらいら》しながら、悲しい気持で車掌台に立つてゐたのだ。降りる人が降り切つて了ふと、待つてゐた人々が一斉にドヤドヤ乗り込まうとした。その人波の向うに、何処かの店の飾窓《ショウウヰンド》に沿つて、ぽつりと歩いて行く洋服を着た男が目についたが、それが、兄らしかつた。よく見てゐるとやつぱり、兄だつたのだ。私はもう矢も楯《たて》も堪《たま》らないやうな気がして来て、急いで車掌に十銭銀貨を握らせたまま電車を下りた。
「どうしたんだ……」
 兄は私の姿を認めると、ギクリとしたやうにふり向いて云つた。
 私は顔一杯に弱々しい微笑を湛《たた》へて、詰《なじ》られでもしたやうな、兄の強い口調をはぐらかして了《しま》はうと思つてゐた。
「電報をかけて来たの」
「いや、真砂町《まさごちやう》のは三等局で電報はかけられないんだよ。これから本郷局へ行く気でゐるんだが……」
「さう、ぢや本郷局の前まで一緒に行かう」
「歩いて行く気なのかお前……」
「えゝ」
 と、曖昧《あいまい》に答へながら、媚《こ》びるやうに私は兄の顔を視戍《みまも》つてゐた。兄と一緒にさへ居られれば力強い気がされてゐたのだつた。
「駄目だよ。歩いて行つたんぢやおそくなつちまふだらう……」
 兄はかう云つて、私の体に喰つついて来たが、ふと、私の外套《ぐわいたう》の前をキチンと合せてくれたり、一つもかかつてゐないボタンを、丹念に嵌《は》めてくれたりした。
「直ぐ電車で行つておいで……」
 私は悲しくなつた。イボタの虫なんて買ひに行くのはイヤだと駄々をこねようと思つたが、へんに唇が歪《ゆが》んで来るばかりで、口を利《き》くことが出来なかつた。黙つて兄から顔を視守られてゐると、どう反抗しようもなくなつて来て、丁度先の電車が動き出さうとした機勢《はずみ》に、踵《くびす》をめぐらして、それに飛び乗つて了つたのである。
 私は車掌台にやつと立つて、冷たい真鍮《しんちゆう》の棒につかまつてゐた。車掌や車中の乗客からジロジロ顔を視守られてゐるやうな、侮蔑《ぶべつ》されてゐるやうな、腹立たしい気持でゐた。それでも、何時《いつ》ものやうに私は、心の中で彼等を蔑視《さげすみ》かへす気力がなかつた。少し強い口調で何か言葉をかけられでもしたら、誰にでもベコベコ頭を下げて了ひさうなイヂケタ気持になつてゐるのだ。疲れてヘナヘナになつてゐる体を靠《もた》せかけるやうにして、窓のガラスに顔をぴつたりよせた。電車の震動につれて、歯と歯とがガクガク噛《か》み合せられ、寒いやうな緊張が、体全体に漲《みなぎ》つて来るのが感じられてゐたが、不意にもう姉は死んで了つてゐると云ふ風な気がして、目の中が熱くなつた。ぽつりと涙が落ちた。鼻筋をつたふ涙の、かゆいやうな感じを覚えたが、私は気恥かしくなつてそつぽを向いた。
 ――白い毛糸の、ボヤボヤした温かい襟巻《えりまき》に包まれながら、姉に抱かれながら、この、本郷の通りを俥《くるま》に乗つて走つてゐたことがある。小さい弟を抱きかばつてゐる、若い娘らしい姉の得意と喜びとをちやんと私は知つてゐた。知つてゐながら狡《ずる》い小さな私は、甘えて無邪気に眠つてゐるやうなふりをしてゐたのだ。姉の親友の、学習院だつたか附属だつたかの小学校へ通つてゐる、自分と同じ年位な弟さんを思ひ浮べて、明日から、姉のために、その品の好いおとなしい弟さんに出来るだけ自分を似せようと思ひながら……。十五六年も前の、そんな記憶がちらと頭に浮んで来た。――姉に、たつた一人の弟としてずつと後まで私は愛されてゐた。十から十三になるまでの間を私は東京の家から、父や母や兄弟たちからもぎ放されて、北海道の釧路《くしろ》で牧場を経営してゐる子供のない叔父の家にやられてゐたが、其の頃女学生だつた姉は、よくセンチメンタルな手紙をよこしては孤独な私を泣かせた。中学校に這入《はひ》るために私が、再び東京の家へ戻つて来た頃に、姉は木村の義兄と結婚したのだつた。中学生らしく生意気になつた私は、小さい子供の頃のやうなセンチメンタルな愛情を姉との間に保てなかつたけれども、姉に無関心で暮せるやうな時代は少しもなかつた。其の後五六年して私は放蕩を覚え、三日も四日も家をあけたあとで、荒《すさ》み切つた心になつて家へ戻つて来ることがよくあつたが、そんな時に、どんなにこつぴどく父に呶鳴《どな》られるよりも、母に泣きくどかれるよりも、さもさもきたならしい人だと云ふ風に、姉に顔を視守られることが、私には一番|辛《つら》いことだつた。姉は、併《しか》し、私が実際に放蕩の渦中にあつた時には流石《さすが》に顔をそむけてゐたけれども、あとでは私の前で、自分だつて此頃はもう相当の通人になつてゐると云ふやうに、芸者と云ふやうな境遇の女にも、好意を持つた話し方で話したりした。私は小遣銭がなくなつて、あまり頻々《ひんぴん》で母にも云ひ出せないといふ時に、きまつて姉の家へ行つた。姉は、姉子《あねつこ》の小さな達坊を私が抱くために来たのか、お金がなくなつてやつて来たのかを、敏感に察した。私の顔を見て笑ひ出して、黙つて、立つて行つて用箪笥《ようだんす》からお金を出して来てくれるといふことがよくあつた。私が、父や母の意志に反《そむ》いて作家として身を立てようと心をきめたことに就《つ》いても、父や母の悲しみを思ひやるといふ気持を除いては、私の仕事に姉はむしろ好意を持つてゐた。姉は小説好きだつた。六七年も前のことである。転任した義兄と一緒に長野へ行つてゐた姉のところへ、私は、釧路で送つた頃の少年時代の記憶を小説体の形式に書き綴《つづ》つて、三銭切手を五つも六つも貼《は》つたりして送つたことがあつた。それはただ姉に親愛を示したい気持から、無理にも自分の過去を悲しいものに色彩《いろど》つて書いたものだつたが、姉は感動して、――恐らくは書かれてゐたことの十倍二十倍もの想像を加へて読んだのであらう。二三日の間は、気が変になるまで泣き悲しんだ。あとでそのことを知つた兄から、馬鹿な真似《まね》をするものでないと叱《しか》り飛ばされて、余計なことをしなければよかつたと私も悔いたが、只《ただ》併し、自分の書いたものが人に感動を与へ得るといふことに就いては、その時始めて自信を持てたのだつた。其の後、私は野村から鼓舞され、里見さんに励まされたりして、三つ四つの習作をした。一つ一つ小説を書いてみる度に、私も幾らかづつは自分のやつて行かうとする仕事の目先が、明るくなつて行つた。去年の春、小さな単行本を出版した時にも、秋から、佐治や福田たちの仲間に加つて第五次の「新思潮」を始めてからも、私の書いたものが活字になる度に、喜んで読んでくれる極くわづかばかりの読者の中で、姉はもつとも熱心な読者の一人であつた。――これから、私は、沢山によい作品を書いて行かうと思つてゐる。好い作品の出来た時に、私のために喜んでくれる人々の中に、どうして姉を数へずに置けよう。私の愛する周囲の人々の中には、悲しいことに、お金まうけでもしない限りは、喜ばしてあげることの出来ない人もゐるけれども、姉は、姉なら、私が好い作品を書いたことだけでも喜んでくれるのだ。――死んではいけない。今は、何でも彼《か》でも死んではいけない。姉の愛に、好意に、私らしく報い得る時節の来るまでは、どんなにしても死んでくれては困ると、私は駄々ツ子のやうに心に思つた。冷たい真鍮の棒を、ギユツと強く握りしめながら。電車は、不意にずり落ちるやうに、切通しの坂を下つて行つた。
「死んでくれるな」
 私は目をつぶつて、かう又姉のために祈らずにはゐられなかつた。姉に似て神経質な、臆病な、男の子らしくもなく色まで白い達坊のやんちや[#「やんちや」に傍点]な姿などが思ひ浮べられる度に堪《たま》らなくなつて、ほろ、ほろと涙を落した。強い気でゐようと思つても、胸から喉《のど》へ棒でもさされてゐるやうに、迫つてきて、啜《すす》り泣かずにはゐられなかつた。――やがて、広小路の停留場へ来て了つてゐた。
「もし、もす、貴方《あなた》切符を……」
 電車を降りると、自分を呼んでゐる車掌の声が背後でした。私はふと気がついた。あわてて切符を買はずにゐた自分を思ひ出しながら。懐《ふところ》から蝦蟇口《がまぐち》をとり出したのだ。
「貴方にはたしか、三丁目で、十銭頂きました
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