で家来がまず食べ始めてうまいうまいといい、やがて家族も食べて、毎晩上下こもごもこれを呼んで食べた。この位の事は、祇園通いをする父がもう戒め得なかった。
 そのうち新年になった。春駒というものが来る。これは馬の頭に鈴をつけ、それに手綱をつけて打振り打振り三味線で囃し、それが済むと、ちょっとした芝居一くさりをする、私の所ではこの春駒によく銭をやるので、度々来て芸をした。この春駒の中で、金三郎といって、美男であり芸も多少勝れている者があった。下女などは『金さん金さん』といって、後を追うてよそで芸をするのまで見た。
 後にこの金三郎が、尾上多見蔵に認められて、本当の役者になり、やがて名代になって市川市十郎と名乗った。その後東京の春木座が出来した時に、市川右団次の一座に這入って来た。私もなつかしくて見に行ったが、生憎《あいにく》その日市十郎は病気で欠勤した。それから更に烏兎《うと》匆々と過ぎて大正三年になって、市川眼玉という老優が東京へ来た。それが昔の市十郎だと聞いたので、行って見た。彼は石川五右衛門をやった。私はこうして、昔の『金さん』と相対した。五右衛門の友市と久吉の猿松の出あいどころではな
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