事家の別荘の門になっていて日本の昔の大名屋敷の門としてその主人の自慢になっているとのことである。
 さて私のうちも継母が来てからは賑《にぎ》やかになった。この継母が来た時私に土産にくれたのは箱根細工の菓子箪笥で、どの抽斗《ひきだし》をあけても各々菓子が這入っていたので、私は大変喜んだ。継母は心得た人で私を十分愛してはくれたが、しかし実母に離れて以来祖母を母としていた習慣は相変らず続いて、継母が来てからも、やはり夜は祖母と寝た、もうその頃は乳を吸いはしなかったが、祖母も私を人手にかけず、私も祖母のみ慕った。
 私は子供の時一番楽しみだったのは本を読むことであった。その頃には絵本がいろいろあって、年齢に応じて程度が違えてあり、挿画には少しばかりの絵解《えとき》がしてあった。桃太郎やカチカチ山は最も小さい子供の見るもの、それより進んでは軍物語《いくさものがたり》であった。それには八幡太郎義家や義経や義仲などの一代記があった。こういう本は子供のある家にはどこにもありまた土産にもしたものであった。外へ出て絵草紙屋の前を通ると私はきっとせがんだ。私は玩具よりも絵本が好きなので、殊に沢山持っていた。
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