読書力のあるのを認め、学問所の等級も知って居られるので、間もなく私を頭取という仲間に入れられた。頭取になると、草紙をいくら習っても随意なのである。頭取にならぬうちは、草紙の数が極まっていて一々検査を受けるのである。こういう楽な仲間に這入ったので、私はいよいよ手習をしなくなった。けれど、清書は勿論先生に見せるのである。私の清書にはよい点はつけてもらえなかったが、そこは読書力の方で差引して、大目に見てくれたようであった。或る時先生が鎌倉の頼朝以下十将軍の名を唐紙へ書いて、これを暗記して書いて見せたものへ遣ろうといった。そこで私はそれ位は最前知っているから直ちに書いて見せると、先生がアアお前が居てはいかんといって顔をしかめたが、約束だからそれは貰った。
 とかくして帰国した一年は終り、翌年になったので、お国で、一種変った新年を迎えた。まず正月の二日には君侯の館へ出て、年賀を述べる、これは江戸と同じである。それから親類を回る。それらの儀式は江戸と多く変らぬが、万歳に至っては、藩地では全く穢多のすることになっていた。三河万歳のような簡単なものではなく、三味線太鼓笛などで打囃《うちはや》し、初めは
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