く際、この抜道を通ったということに作ってある。
 私達の一行は次の新居の関(遠州)も越したが、ここでも手形を出すとか、検査を受けるとか名乗をするとかいう事は、箱根の通りではあったが、ここは役人の態度が、いかにも穏和であった。例えば、私が通る時老人の役人が『お名前は』と聞いた。名乗をすると、『お通りなさい』といった。箱根の『名前は』『通らっしゃい』とは大変な違いである。
 この新居の関は、この地の小さな大名が、幕府からの命令で、受持っていたのである。箱根となると関東唯一の関で、幕府の功臣小田原藩大久保の受持になっていたから、自然厳重な荒々しい言葉使いをしたものである。
 これらの関所の外に、馬のつぎかえをする時に荷物の貫目を検査する場所があった。それは第一が品川で、次が府中即ち今の静岡、その次が草津と覚えているが、その間にも、一つあったかも知れぬ。この検査の時も、用達に周旋をさせ、問屋の役人に賄賂をつかうと、少々貫目が多くても通してくれた。もし賄賂をつかわないと、貫目が少くても多いといわれることがある。役人の手儘に目方をかけるのであるから、重いも軽いも手加減次第でどうでもなった。その賄賂
前へ 次へ
全397ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング