大名の参勤交代でもその通りで皆大名の自弁であった。大名はその上に、時々城やその他の土木工事を命ぜられ、これらも軍役に準じてやはり自弁でせねばならなかった。
藩の侍の如き、表向きは余力で家族を養うということになっていても、実際においては家禄の全部を使ってやっと家族を養っていたので、旅などする時には家禄の前借をしたものである。また別に侍中の共有の貯蓄があって、それも貰うことになっていた。そういう次第であるから手を詰めた旅行をせねばならぬのである。
ところがこの頃は東海道を初め、どの道筋でも『川止め』という厄介な事があった。雨が降続いて川が増水すると、危ないというので渡しを止めるのである。東海道の川々、大抵は舟渡しで、大井川と酒匂川《さかわがわ》だけは特別に台輿または肩クマで渡した。台輿は駕籠に乗ったままで駕籠ぐるみに台にのせて渡すので、肩クマというのはけだし肩車の訛りで一人を肩に乗せて渡すことである。大井川の如きは殊に川止めになりやすかった。川止は実に旅客の迷惑であったが、それに反してその川の両岸の土地の者には大いなる幸福であった。それは旅客が泊って金を落すからである。大名となると泊る
前へ
次へ
全397ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 鳴雪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング