た。それではいかにも引合わぬという疑が起ろうが、彼らの稼ぎには武家以外に平民がある。平民の用は、問屋から武家の用を命ぜられるそのいとまに遣るということになっており、それは『相対雇《あいたいやと》い』といって、問屋を仲に立てないでいるので、賃も十分に取り、なお酒手もねだった。それで武家の方と差引して生活したのである。それでは平民ばかりを客にしたら大変に宜いはずであるが、それは許されていなかったのである。
 平民の旅行となると雲助のために多くの費用がかかった。就中《なかんずく》役者などの芸人と認めると一層高い賃を取ったから、芸人等は大抵商人に扮して旅行した。しかしそれが露われるとまた恐ろしく取ったもので、場合によれば手込にもした。
 武家が大勢落合って雲助や馬子の不足する時は、問屋から別に『助郷《すけごう》』というものを出した。これはその地その地の百姓が役として勤めたもので、馬を持っていれば馬子の代りをせねばならなかった。この助郷は雲助などに比べると相当の着物を着て身形《みなり》もよく一層温順であるが、それだけ駕籠の舁き方も拙く、足ものろいので、我々はやはり助郷よりも雲助の方を便とした。

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