を作ればそれで可いことだ、というような事を述べて置いた。なお敬晨会というはもっぱら老人のみを以て組織された俳句会で、これも予ての知り合であるから、そこへも出席した、この席中には私よりも年長者として、野間一雲、柳原尚山、真部春甫氏などがある。就中一雲氏は七十七歳で最近病臥して居られたが、私の帰省したのを喜んで病を押して出席された。その後私が帰京して間もなく氏の訃報に接したのは殊に悼む所である。この老人連は私の関係している日本及日本人の毎号へ出吟してくれらるる仲間なのだ。また藩主の祖先を祭った東雲神社の社務所で同県人の能楽を見た。これは毎年定期に法楽の催しがあるので、ちょうど高浜虚子氏及その兄池内信嘉氏も帰県していて一緒に見た。我が藩にはかつては禄を与えて召抱えた能楽師及囃し方も数々あって、藩主御覧の能楽も時々あったから、その名残を今も有志者の仲間で留めているのだ。就中崎山氏というが牛耳を執っていた。衣裳も旧藩主家のを譲ってもらったのだが、モウ古くなって、あるいは綻びをつづくっているのもあって、私も頗る感慨に打たれた。
私の松山滞在は僅の日数であるにかかわらず、来訪者の頻々たると共に揮毫
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