が、段々と年を経るに随って、四方太氏の如きは全く俳句をやめるし、虚子氏は、写生的の文章専門となって、ホトトギスこそ経営すれ、俳句は全く擲つ事になった。それから碧梧桐氏は別に新傾向の句風を起す事になって、これに属する者に荻原井泉水《おぎわらせいせんすい》氏、大須賀乙字《おおすがおつじ》氏などが出るし、また西京大阪辺でも、大谷句仏《おおたにくぶつ》氏、水落露石氏等が響応し、なお碧梧桐氏が全国を巡遊するに至って、到る所にこの傾向を普及せしめた。その後一離一合して更に、新傾向派中にも別に一旗幟を樹《たて》る者があり、また殆ど旧調に復したものもあるに至った。これらの事は、私が別に申し述べるにも及ぶまい。それから、虚子氏も再び俳句を作って今日の如く盛んに後進を率いる事にもなって「ホトトギス」は相替らず元祖俳誌となっている、また氏の関係していた国民新聞の俳句欄は一時|松根東洋城《まつねとうようじょう》氏の担当になったが、この頃は虚子氏の担当に復している。
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二十
余りに子規を中心とした、俳句の話ばかりになっていたから、これからは私の身の上について御話をする。私は人と違って旅
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