い。そこで私も気付く所があって、陰では氏の病状を気遣うけれども、碧、虚諸氏などの如く日々近寄る事をやめた。また子規氏が希望で母刀自や叔父の加藤恒忠氏の忠告するにもかかわらず、沼津の海岸へ病躯を転地せんといい張った時も、私はそれでは俄に医師の救護を得るにも不便だからといって、氏に益々機嫌を損う事にもなったが、氏といい私といい、その親みは、最初の監督者と被監督者とがあべこべに俳句を教えてもらったその時より何も変りはないのである。ちょうどその頃氏は着色の絵を描く事を始めたので、私は密かに形見を貰う心持ちで、何か描いてくれといって、書画帖を送った。氏はそれに芍薬の画と俳句二つを認めた。そうして氏もこれを形見にするというようなことを書き添えている。そうこうしているうちに卅五年の九月十八日であった。氏がいよいよ悪いとの報知があったので駆け付けると、もう息が絶えていた。実は傍に附いている母妹及虚子氏さえも臨終には気がつかなかったという位で、つまり最近に苦んだ痰が喉につまったのが致死の原因となったのである。一両日前の句に「痰のつまりし仏かな」が讖《しん》をなしたのである。それから一同大騒ぎで、親族も知
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