中休暇などには郷里へ帰省するのだが、氏に限っては見学のため知らぬ地方を巡回して、其所々々の殖産やその他社会的の事を調べて、帰舎すると茶話会席上でそれらを報告するのを得意としていた。そんな風故法科大学を卒業すると共に大蔵省へ出身して、函館の税関長となりまた本省の局長から、次官に進んで終に大臣となった。しかし今でも時々は俳句も作っているようだ。
 以上は寄宿舎で俳句を作っていた同郷人の主なる者だが、その他では、後に自分で婦人科病院を起て、また俳事に関する蔵書に富んでいた医学士の大野洒竹氏、新聞上で筆を執って一時文名を馳せていた田岡嶺雲氏、この二人はもう亡くなった。文学の専門家で、傍らいろはたとえの如き俚諺を集むるを楽みにしていた、藤井|紫影《しえい》氏は、今も京都大学の教授となっている。これらは誰れも知っているから私が説くまでもない。また土居藪鶯氏は、氏の郷里の宇和島の郡長となり、それを罷めて、同地の電気会社の社長となって熱心に努力していたが、惜いかな胃癌にかかって先年亡くなった。二宮兄弟では、兄の素香氏は元来病身であったが、これも帰郷して宇和島の高等女学校長の勤務中に、藪鶯氏よりも先きへ
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