編輯上の意匠にも富んでいたから、購読者は益《ますます》喜んで見る事になったので兼て日本新聞やその他の各新聞で子規氏の俳風を広めていたが上に、この機関雑誌の広く行わるると共に益々我々が俳風は世間に普及する事になった。そこでこの頃小説で有名なる尾崎紅葉氏や、弁護士で有名なる角田竹冷氏や、御伽小説専門の巌谷小波《いわやさざなみ》氏や、法官の滝川愚仏氏、また森|無黄《むこう》氏|岡野知十《おかのちじゅう》氏などが連合して、一箇の俳社が出来た、此方でも俳声という雑誌を出して、後には卯杖と改称した。その頃伊藤松宇氏は久しく静岡地方の富士製紙会社に従事していたので、我々との交通も隔ていたが、再び出京して深川の倉庫会社に関係する事になったから、そこで元来なら、我々のホトトギス仲間へ加わるべきだが、どうかしたはずみで、秋声会の仲間となってしまった。が、相変らず私は勿論子規氏なども交際はしていたのである。
 ホトトギス仲間では、少し以前に五百木飄亭氏が徴兵に出て兵隊生活をした関係から、同じ兵隊中で佐藤肋骨氏を俳句仲間に引入れ、また日本新聞に入って来た関係から佐藤紅緑石井露月の二氏も我々仲間へ加わった。また
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