応の等差があった。私の父は側役《そばやく》といって、君侯のそばで用を弁じる者即ち小姓の監督をし、なお多少君侯に心添えもするという役で、外勤めの者の頭分《かしらぶん》というのと同等に待遇されていた。故にその身分だけの小屋を貰っていたが、或る時、私の母の弟で、交野《かたの》金兵衛といって、同じく常府で居たものが、私を連れて外出しようとした。家の門の前に溝《どぶ》があって、石橋がかかっていた。交野の叔父は私の手を引いてそこを渡ろうとした。すると私は独りで渡るといい張った。叔父も若かったから、それならといって離した。私はヨチヨチ渡りかけたと思うと真逆様《まっさかさま》に溝へ落ちた。小便もし、あらゆる汚ない物を流す真黒《まっくろ》な溝であった。私は助け上げ家に入れられて、着物を脱がせられるやら、湯をあびせられるやら大騒ぎであった。どうもその時の汚なさ臭《くさ》さ苦しさは今でも記憶している。
 私の三つの時の七月に母は霍乱《かくらん》で死んだ。それ以来私は祖母の手に育てられた。私のうちには父母の外に祖母と曾祖母がいた。母がなくなってからはこの二人のばばが私を育ててくれたのであるが、就中《なかんずく
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