てもらいたいと、懇々と言い聞かせ、まず同じ小学校でも、旧穢多の子弟は、本堂や拝殿の縁側に薄べりを敷いて、そこで学ばせた。それからこの着手の初に、松山の士族学校へは第一にこの旧穢多の子弟を入れて、それを郡部一般の説諭の種にもしたいと思い、私どもは松山附近で味酒《みさけ》村というがある、そこの口利きの或る旧穢多の家へ行った。そうしてどうか士族の出る小学校へ御前方の子弟を出してもらいたいといって勧めた。最初ちょっと遅疑したが、遂に承諾して十幾人かの児童をその通り通学せしむる事になった。この旧穢多の家で私はわざと旧習を破って見せるために、茶を貰いたいといったら、立派な朱塗りの蓋《ふた》つきの茶台で私その他にも茶を出した。私は直に啜り尽したが、他の者は互に顔を見合わして啜り得なかった。既に説諭に向った役人でさえ、旧穢多の茶が飲めぬのだから、一般の人民が旧穢多を嫌うのに不思議はない。
 この年末であったが、石鐵県の県庁は松山から十一里ばかりある今治の方へ移った。この一大原因としては、県官で九等出仕某という者が、或る夜宿所で誰れとも知れず暗殺された。それ以来県官は松山の士民を頗る疑惑する事になり、今
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