同するか否を問うのであった。そこで我藩では一時|遁《のが》れの方便が、遂に本気の明答をせねばならぬ事になったので、藩庁でも内々騒ぎ出した。そしてそれが外間へも漏れたので、いよいよ紛議が甚しくなった、殊に世子は右の長州への内使一件は後に聞かれたのであったから、例の気性として頗る不満に思われ、その側附の人々も共に憤慨した。それが更に、内外相応じて、一の党派となり、長州の使者を刎首して手切をするがよいと主張する者さえ出来た。が、また一方には最初内使を立てた当局者を始め、他の外間の者も、藩の危難を慮りかく幕府の権威の墜ちた上は、我藩もなるべく隠忍持重して時節を待つ外はない、それには長州の使者に対しても温和的に談判をするがよいと主張した。そこで藩中において初めて両党派が出来た。而して一方からは自ら正義党と称し、他を因循党と罵り、また一方からはその正義党を過激党と呼んだ。けれどもあまりに無謀な挙に出ることだけは出来ぬという事に誰も落ち合い、長州の使者に対してはいずれ当方より使者を以て明答をするという事にしてそれを引取らせる事になった。それからこの問題はなかなか重大であるから、藩限りには決せられぬと
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