任の書く『我が国の梅の花とは……』は、最前《さいぜん》お馴染みでよく分かった。
その頃芝居の弁当といえば幕の内といって、押抜きの飯と煮染《にしめ》と漬物で、甚だ淡白な物であったが、私は珍しく食べた。私は芝居という所へ始めて這入ったのだから、周囲にあまり人が沢山おり、むやみに騒がしいので、怖いような気がして、舞台と共に見物席の方にも絶えず気を配って、どうも落着かなかった。
十一歳で家族一同松山へ帰ることになったが、その間に私の家族が大芝居を見たというのは、唯この各《おのお》の一回のみであった。その頃の藩士の生活は、国もとの方でも藩邸でも極めて質素なもので、そうせねば家禄では足りなかった。
かくの如く十年間に唯一回の大芝居見物でも、家族は非常に満足し、またこれだけの事が父の大奮発であったので、まことに大芝居を見るという事は容易な事ではなかった、小芝居になると、祖母などもその後時々行って、その都度私も伴われた。
その頃は大芝居と小芝居とは劃然とした区別があったもので、大芝居の役者は決して小芝居には出なかった。小芝居は江戸に沢山あった。私どもの屋敷から行ける所では、まず金杉《かなすぎ》
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