ら井上という家へ養子に行った者が借りて江戸まで持って行って、そして前にいった愛宕下の上屋敷の火災の時に焼いてしまったが、その一半はまだここに残っていたので、それを読む事が出来た。浄瑠璃は既に西京で味を覚えていたし、この丸本は一段物と違い、筋も充分分る所から、いよいよ興味をもって読初めた。これも今日私が浄瑠璃なり、芝居なりに親しむ原因となっている。祖母の父の自作の丸本をも私は見たいと思ったが、それも右の井上が借りて行って焼いてしまった。宇佐美家に存していたものは、祖母の甥に当る者が他家の写し本から写し取った一冊だけであったが、私はそれを見たのである。外題《げだい》を『出世奴《しゅっせのやっこ》孫子軍配《そんしのぐんばい》』といって秀吉を主人公として作ったものであった。これは今もナカナカよく出来ていたように思う。大阪ではそれを芝居にした事もあると聞いた。
 かように、私がややともすると道楽的読書に傾き、このままで行ったら当時の武士仲間で歯《よわ》いせられぬ者となるのであったが、ここに一つ真面目に漢学を勉強する機会を得る事が出来た。
 それは漢学の明教館において素読の助けの外、漢籍の意義を講
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