ていたのである。しかし素手でも向われぬから、兼て親の時分に買っていたカラビンという短銃を宅から取寄せて、弾のある限り、それを打ってその後は刀を振りかざして駆け込むという考えであった。
 こうなって来ては遉《さすが》の鈴木大参事も兵力を用いるのやむをえないという事になって、一大隊ばかりもあった藩兵を東条少佐に率いしめて、一揆の主力が居る久米村方面へ向けて出陣せしめ新立の橋を渡って石手川の堤に防禦線を張った。そうして一里ばかりも隔った敵陣へ大砲を発したが、そのため一揆の中に二、三名は弾に当って即死した。しかも旧砲術家の用いた火矢というものも放したので、それが敵陣へ飛んで行って地上に立ってシュウシュウと火を吹く。こんな事で一揆は大分荒胆を取られて、そこは百姓の事とて意気地なく忽ちに崩れ立った。こうなると各郡民は己がじしコソコソ引取って、竹槍などもどこかへ隠して、何知らぬ顔で家に居る。そうして主唱者であった久万山の百姓さえもいつの間にかまた山中へ帰ってしまった。思ったよりも脆かったので、私どももほっと息を吐き少しは張り合いのない気もした。それから東条少佐は隊兵を率いて久米浮穴両郡から終に久万山の山中までを廻って示威をした。
 この一揆打払いの少し以前に前知事も自ら家職を率いて一揆に対して説諭をされた。その詞には自分に留任をさせたいという事は辱けないが、それでは朝廷に対して嫌疑を受けて、結局自分の罪となる。この点を考えてどうか鎮静してもらいたいといわれたのだが、騒ぎたった一揆はなかなか静まらない。知事の一行が、進んで行かるればその方は後へ後へと退くが、他の一方の途から一揆の別隊が城下へ向って進む、どうする事もならぬから、前知事も持あぐんで引取られて、終に藩兵の攻撃するに任されたのであった。
 いよいよ一揆が治まった上は、前知事一家は朝廷の御沙汰に従って東京へ移住されねばならぬ。しかるに、その出発に当ってはきっとお止め申すといって再び一揆が起るという噂であったから、そこで藩庁においては各郡の総代たるべき者をよび寄せて大少参事列席の上説諭をした。それには鈴木重遠氏が主としていい聞かされたが、威重あり弁もあったから、意志は充分に徹底した。この頃は最う竹槍蓆旗では抵抗出来ぬと諦めた百姓ばらだから別に抗論もせないが、また承服もせない。一先一般に申し聞せて考えさせようという位な処でいずれも引取った。その後諸郡では、この上は各総代を上京させて、朝廷へ直接に知事の留任を願おうという事に申し合った。これは松山町でも同様で、町人の総代数人を上京せしむる事になった。
 この知事留任の一揆騒動は他の藩にも多くあったので、既に南隣の大洲藩でもなかなかの騒ぎであった。一揆の全部は既に藩庁を取囲むに至ったので、権大参事の山本某というもっぱら藩政の枢軸に当っていた人が、自ら割腹して一揆の反抗心を暫く[#「暫く」はママ]鎮めたという報にも接した。
 しかしいずれの藩も一揆の気焔は間もなく鎮静して前知事はいずれも上京せらるる事になったので、私の藩の知事久松定昭公もいよいよ上京せらるる事になった。少し前に遡っての話しだが、定昭公は最前もいった如く、年壮気鋭の方であったので、既に王政となった上は、またこの下に充分尽力して、かつては幕府に効した力を以てこれからは朝廷に効したいと思われ、養父勝成公に代って藩政に臨まるるに至っては、われわれ大少参事を率いて充分に藩屏の任を揚げんと欲せられたのである。ついては近傍の藩々の知事も同僚であるから互に藩治上の打合せをするため、まず同姓である北隣の今治藩へその事を申し込まれ、彼の藩の知事は大少参事を従えて松山へ来られ、また定昭公も大少参事を従えて今治へ赴かれた事もあった。その他文武その他の藩政も充分にあげらるるつもりでいられたから、廃藩置県の御沙汰にはちょっと出し抜けを喰われたのであるが、時世に着眼の早い公の事であるから、何らの躊躇もなく屑《いさぎよ》く出発せらるる事になったのだ。そこでその当日は、万一の騒動も起ろうかというので、久松家を始め藩庁でも随分心配したが、幸に何の故障もなく、三津浜へ下って乗船せらるる事になったのは少し意外であった。
 前知事の去られてからの藩庁は大少参事で暫く藩政の残務を扱って、新に命ぜられる、県官の赴任を待ち引続きを為すという運びになった。けれどもそれは翌五年にならねば実際の運びは出来そうもない、そこで私はこの上藩庁に居た所で、残務を扱う外何の用もなく、学校の改革は可笑しいながら、してしまった、別に手を着ける事もない。手を着けた所で、やはり人に引継がねばならぬ、頗るつまらんような気になったと共に、往年藩より命ぜられた洋学の修業を祖母達に止められ、また自分も気弱くて止めたのを残念に思っていた際だから、この機会に、先
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