地理書とかいう位のものを読んだくらいのもので、発音は凡ていわゆる変則読みであった。それから、普通科においても、経書や歴史は以前のものを用いたが、その他西洋物ではやはり西洋事情を第一として、上海出版の博物新編、地球説略、などを用いた。こんなものが藩学校で教えられるので、旧来の先生連は一同顰蹙していたけれども、さすがに何ともいわなかった。また軍隊ではその頃は英式よりも仏式の方がよいという事になったので、特に東京から、武蔵知安氏とその門人の五、六名を聘傭して訓練させた。この武蔵氏一行は、函館の五稜郭に立籠って実戦の経験のある人なので、本名は隠していたがなかなか江戸子気性でテキパキと物をいうし、軍隊に対しても用捨なく叱り付けて訓練していた。そうして一般から見ても当時の藩政の当局者はまず武張った者が多いので、もし命令に違えばどんな厳罰に処せられるかも知れぬという恐れがあったから、他より来た教師であるにかかわらず、よく柔順に服従していた。因てここに始めて我藩にも軍隊らしきものが出来かかったのだ。またその頃は騎馬隊といった騎兵の事に達している何とかいう人を聘用して一小隊位の騎兵をして教練せしめた。凡ての藩兵で仏式に編成するとまず一大隊位のものが出来たので、その上長官を少佐と呼んで、それには、私と同務であった、東条氏が自ら好んで任ぜられた。そうして、その代りに村上質氏が入って来た。この人はなかなか才物で軍政上や武蔵氏の応接等も巧くやっていたようである。これらは多く明治四年の事で、今回の大改革を決行したのは前年の閏十月であった。その大要をいえば、従来の門閥を悉く廃止し、最近の位置の等差に依って、一等士から十等士までの待遇を与え、従来の士分と徒士と、これに准ずる十五人組とを一般に士族と呼び、士分以上を旧士族、それ以下を新士族と分けた。旧士族は一家に付二十俵と、家族一人に付一人半扶持を与え、新士族は一家に付十俵家族一人に付一人扶持を与えた。従って三千石の家老も、九石三人扶持という最下等の士も、士分は同じ収入となったのであるから、随分一同を驚ろかせた。尤もその際一時に一箇年分の家禄は等差に応じて特別に渡したのである。それから今いった十五人組以下の無格、持筒、足軽、仲間の四段の卒は凡て暇を出した。そうして、その需用に応じて、新たに使用する者をやはり卒と称し、軍隊にもまた通常の事務にも従事せしめた。なおこの卒を廃する際にも若干の一時手当を交付したのである。けれども俄かにかく解放せられたので、この卒団のものは、非常に憤怨して陰では散々当局者を罵っていたが、まさか反抗するほどの勇気もなかった。憤怨といえば、士族以上も門閥を失い家禄を奪われたのであるから、随分不平を唱えていたことは勿論である。要するに当時の藩庁はかような空気の中に孤立していたのであったが、大参事の鈴木重遠氏を始めが胆気もあって改革に熱心であったために、何ら顧慮する所なく諸事を断行した。尤も私はただ東京帰りの聞きかじり西洋通の青年であるから、さほど度胸もなく見識もなかったのだが、年の若いだけに別に心配もなく先輩に追随していた。殊に学校の改革は多少自分にも考えがあったから、老先生の眼前で突飛な改革をしてそれには多少得意と興味を持っていた。が、宅へ帰ると永年藩政に勤労して実験にも富んでいる父が控えているので、なんだか極りの悪い感じもあったが、父は藩政の改革に対しては一言もせず、かつ私をも咎めなかった。父は従来富貴功名には淡泊で、ただ昔気質な君に忠義を尽すという一点張りであったから、藩政の局に当っては人言をも顧みず信ずる所は熱心に努めたが、一旦時勢の変遷を看破して身を退いた以上は、忽ち洒々落々として少しも愚痴をいわない。申さば諦めがよい、これから後は貴様達でやりたい通りに遣れといったような風でいた。父は若い時、勝成公の君側に仕えた時分は、その御相手として多少読書もするし、詩なども作っていたが、それ以来忙しい職務となったので、それらも廃してしまった。しかるに最近閑散の身となったので、ぼつぼつ読書もするしまた詩を作る事も始めた。そうして、この詩だけは私にも示して批評を求めた。またその頃の邸地面はかなり広いが上に、隣地の空き邸を幾分貰い受けていたので、そこに畠を拓いて、父は自分で鍬を執り肥を蒔きなどして、そんな事で充分精神を慰めていた。
 その頃東京では段々と脱刀とか散髪とかいう事が始まって、後には廃刀令というのも出たが、まだ最初は随意にやりたい者がやったので、その事が藩地へも知れたから、私は同僚の二、三と共に直に散髪になった。刀の方はその頃の事とて少し、用心もせねばならぬから一刀だけを帯ぶる事にした。この一刀も東京あたりでその頃流行したもので、これまでの大小の、大よりも少し短かくして、その飾りは、奢ったも
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