る最中に、家来が『先ほど松山から御用状が参りました』といって差出す。父が開いて見ると、『御留守居御免で、松山へ帰足、御目付帰役仰付けらる』、との辞令である。家内一同驚きかつ喜んだ。
目付というのは藩の枢要の地位で、上に家老を戴いて、すべての政治に関する役である。これは既に江戸で勤めていた故、『帰役』といって、元の座席へ帰って勤めることである。
こうなったが、代りの留守居が来るまで、暫く在職していねばならぬ。その間に伊勢参宮をした。京都の留守居は、年に一回藩主の代理として参宮をすることになっていたのである。その土産に鹿の玩具や鹿の巻筆などを貰った。
その頃花時で、私の庭前の大きな桜も見事に咲いたので、或る日内で花見をすることになり、滋賀や千家や出入の商人が来て盛んな宴を張った。皆松山帰りの喜びも述べた。この日は芸子なども来、夜更くるまで篝などをたいて大変に陽気であった。
これもその頃であったが、円山の何阿弥という茶屋で踊の浚《さら》えがあるから来いとの案内が来た。その日は父もそこに行っているであろうから、私にも行くなら行って来いと、祖母がいったので、下役の三好という家の子供と若党も連れて一緒に行った。茶屋へ行くと、もう浚えは済んでおり、父も居ないので、失望しての帰り途、父は自分の馴染の祇園の茶屋鶴屋というのに居るであろうと思って、そこへ寄った。この鶴屋は松山藩の馴染の茶屋になっていて、藩の者はよくここに会し、ただ大宴会となると一力でやることになっていた。父はこの鶴屋にも居なかった。私はいよいよ失望して、悄然と帰った。私がどうしてこの時鶴屋へ父を尋ねて行ったというに、かつてここへ伴われて大変に面白い目を見たことがあるので、またあのような事があると今日の失望が償われると思ったからであった。
その面白い目を見たというのは、出入商人が父を促がして清水の花見に行った時のことで、私も附いて行った。ある茶店で弁当を開いたが、商人らはそれだけで満足せず、父をせり立てるので、父はやむをえず右の鶴屋へ一行を案内した。座敷へ這入ると、赤前垂の仲居が父に『小縫さんを呼びましょうか』と囁いた。『それに及ばぬ』と父は答えて、外の芸子を呼び舞子も呼んだ。私はこの時『小縫』という名を始めて聞いたが、これは父の馴染の芸子であった。留守居役は各藩共馴染の芸子を有《も》たねばならぬのであるが、今
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