私の一家は皆江戸住をあまり好まず、始終『お国へ帰りたい帰りたい』といっていた。しかし父は段々抜擢されて藩政上にいよいよ深く関係するようになったので帰れなかったのが、幸か不幸か今度は前にいった事故から免役となって帰ることになったのである。家族等は免役の事は悲しんだが、帰国という事は喜んで、勇しく江戸を出発した。私は『お国』という所はどんな所だろうと思いつつ辿って行《いっ》た。
この旅行についていろいろ準備をせねばならなかった。まず東海道を通るには駕籠を買調えねばならなかった。舁《かつ》ぐ人足は雲助で、五十三次の駅々に問屋があって、そこへ藩の者といって、掛合えば幾人でも雲助を出してくれる。また荷馬も出してくれる。駕籠も竹で編んだ粗末なのは道中どこでもあるけれども、それには士分以上の者は乗れない。それで駕籠だけは家内一同の乗れるだけどうしても自分で弁ぜねばならなかった。そしてそれは東海道を通る間だけにいるので、伏見からは船だから全く不用になるのである。
父は兵制上の争から不首尾で免役になりかつ帰藩を命ぜられる際でもあり、また一体父の性分として見えを張らぬ方であったから、駕籠を買うことになっても、切棒駕籠は一挺だけにし、あとは垂駕籠《たれかご》にした。
大名やその他身分の高い者の乗る駕籠は長棒駕籠《ながぼうかご》といって、棒が長く、八人で手代りに舁《か》くことになっている。それを切って四人で舁くようにしたのが即ち切棒駕籠である。切棒は実際においては三人で舁き、一人は手代りで休む。いずれも戸は引戸である。垂駕籠は上から畳表に窓があいてるような物を垂らしてあるので、これは二人で舁く。それで切棒は駕籠も高く、人足賃も高いのである。本来は切棒に父が乗るはずであるが、それに継母と弟の大之丞とを乗せ、私と曾祖母と祖母とを各垂駕籠に乗せ、父は別に駕籠を作らせず、歩きもし、馬にも乗り、また駅々の竹で編んだのに時には乗っても宜いといって、駕籠無しで出発した。家来は二人連れた。その一人は槍を持って行く。それから別に人足を雇って具足櫃《ぐそくびつ》を舁がせる。この槍と具足櫃とは侍たる者の片時も身を離してはならぬ物であった。荷物は江戸から藩地まで『大まわり』と称える藩の渡海を業としている者に藩から托してもらって送らせるので、手近い荷物は葛籠に入れ馬の脊で一行と共に行くことになっている。
荷
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