》祖母は我が子のように可愛がってくれた。私も『おばアさん、おばアさん』といってなついていた。夜は床に入ってから寝着くまで祖母の乳を吸うていた。何も出ないのであるがこれを吸わねば寝着かれなかった。牛乳の無かった時代だから定めて私を育てるのに骨が折れたことであろう。
 私は悪い癖があった。それは寝ていて糞をたれることで、このために時々夜半に祖母達が大騒ぎをした。その糞騒ぎの真最中に泥棒が這入ったことがあった。これは私の四つか五つの時であった。この賊は私の祖父の所の下部《しもべ》であった。私の父は菱田という家から養子に来たものでこの菱田の主人即ち私の祖父にあたる左近衛門というは、その頃奥の頭役《かしらやく》といって、他では奥家老といった役を勤めていた。ここには若党|仲間《ちゅうげん》などいくらもいた。その中の一人があに計らんや賊の親玉であって、常に私の家の様子をよく知っていたので、この夜半の騒ぎに乗じて這入ったのであった。彼は以前にも、私の父の同役の勤番の鈴木という内へ宵のうちに行って、そこの下部といろいろ話して、その夜主人が当直だということを知って、忍込み大小《だいしょう》や衣類を盗み、それを有馬藩邸に対した横町の裏門の石橋の下へ隠して置いた。この裏門のあった所は、綱坂《つなさか》という坂で、昔渡辺綱が居たという処である。間もなく彼は召捕られて屋敷内の牢屋へ繋がれたが、一夜食物の差入口から一つの柱をこわして『牢抜《ろうぬけ》』をした。よほど無理に抜けたと見えて、柱の釘に肉片が附いていた。そんな事にひるまず彼はその足で直ちに私のうちへ忍込んだのであった。盗み出したのは納戸にあった小箪笥《こだんす》で、その中から雑用金と銀金具物《ぎんかなぐもの》などを取り箪笥は屋敷内へ棄てて行った。
 そこで藩にも差置けぬというので幕府の捕手《とりて》の手を借りて召捕ってもらう事にした。もとより公然幕府の手を借りるという事は手数のことだから、ないないで捕手に物をつかって頼んだのであった。かかる者の徘徊するのはまず吉原であるから、捕手は吉原を探っていると、或る青楼の二階へかの男が上がろうとしている所を見つけた。彼は見附かったと知って巧に影を隠した。すると捕手は直ちに品川へ向って、そこの廓《くるわ》で捕えた。北から逃げた者は直ちに南に向うという捕手の見込が中《あた》ったのである。そして暫く屋敷
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