は、主なる書院が、一の間、二の間、三の間となっていて、襖《ふすま》やその他の張り付けが、金銀の箔を置いて立派な絵が描れていた。定めて蒲生時代の名家の筆であったろうが、無風流な青年の私は、人に聞いても見なかった。ただその廊下から湯殿へ行く処の二枚の襖は、唐木の透かしになって、大きな金の桐の紋が付いていた。これは豊臣太閤の桃山御殿の遺物が蒲生家に伝っていたのを用いたということである。世子の常の居間は最近に造ったもので、こは割合に粗末なものであった。その居間から、右の三ツの書院の縁側を通って、一段下った所が、我々小姓の詰所である。その隣室に側役の詰所がある。この二つの詰所を、御次ぎといった。この外藩政に関係する役人の詰所は、この御次ぎを離れた場所にそれぞれあって、それらの役人はこの御次ぎへは猥《みだ》りに一歩も踏み入ることを許されていない。家老でさえも、世子に拝謁したいと思う時は、それを御次へ申し込んで、世子の御都合を伺って、その上で御次を通りぬけて、それから廊下を経て御居間へ赴くのである。この家老の御次ぎを通りぬける時は、当番の小姓の先輩が、面番と呼ぶ。そうすると、今まで小刀を抜いて側へ置いていささか休息していた一同が忽ち小刀を帯びてその中の二人だけ一方へ並んで坐る。その前を家老が通るが互に一礼もしない。そうして居間の外の遥か隔った所で、家老は小刀を脱いて置く、(凡て殿中では上下共に小刀のみである。長刀は君公に限り小姓が持つ。)それから、無刀のままで居間の入口から膝行して世子の側へ進んで用談をするのである。常には我々小姓が世子の居間に必ず二人ずつ詰めているが、この時だけは御次ぎの方へ下っている。そうして家老が下って次ぎまでくるや否、小姓二人は直に世子の居間へ前の如く詰るのである。居間は上の間と下の間となっていて、世子は上の間に蒲団を敷いて坐って、その側に小刀が刀架に掛かっている。長刀は少し離れた床の上に置いてある。小姓二人は下の間で世子に対って坐っていて、世子から詞を掛けられない以上一言も発せない。いつも左右の手を畳の上に突っ立てた風に置いている。膝の上にあげる事は許されない。いかにも厳しい容体で、世子を張り番しているかという風だ。世子にはさぞ窮屈だろうと思われるが、習慣上そんな事もないらしい。世子といえどもやはり行儀に坐っていて足一つ横へ出す事もせられない。口をきかぬ
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