等も済んで寝ていると、俄に或る一方で騒がしい声が起り、また苦痛に呻《うめ》く声も聞えて来た。寝られぬままに耳を欹《そばだて》ると、何でも道中によくある胡麻の蠅を働く男を捉えてそれを拷問するのであると判った。僕をして宿の者に訊ねさせると、その宿は今日でいう刑事警察権をも持っていたので、お客様には相済まぬが、役目であるからこんなゴタゴタした事もお聞せ申すのだと答えた。その内に拷問はまた明日にするといって騒ぎは終ったが、一方庭を隔てて止宿している男女が数人あって、その中の一人の女が病気に罹ったので、『久しくここに逗留しているが何時なおって故郷に帰られるであろうか、旅でこんな事になって悲しい悲しい。』と繰返して喞《かこ》つ傍から、同行の者が頻りにそれを慰めている。前には拷問の呻きを聞き、今またこの悲しい声を耳にして、熟々《つらつら》旅寝のいぶせき事も知ったし、その上自分も父が旅に病んでいて、それがためにこういう淋しい旅行をするのかと思うといよいよ夢も結ばれぬのであった。
その翌日、起きて見ると、宿の伜が田舎角力仲間ででもあるらしい大きな肥満した身体でいながら、神棚に向って拍手して一心に礼拝していた。なんでもそれが前夜胡麻の蠅を拷問した頭《かしら》であったらしい。かかる荒くれ者でも神に対してする神妙な態度を見れば、いぶせき宿もまた頼もしいような感がした。この和田浜の宿では唐饅頭という飴を餡にした下等な菓子が名物であった。菓子好の私は前夜も朝もそれを沢山喰べた。
その翌日はまだ日の高い内に丸亀港へ着いた。この港はもっぱら金比羅詣の船が着く処で、旅人の往来も頻繁だから船問屋兼業の宿屋も数々あった。私もある宿屋に投じ、暫く休息した。これから乗る船はその頃渡海船といって、金比羅参詣の客その他商人等を乗せるが、またわれわれ如き両刀を帯した者もそれに交って乗っていた。もうここへ来ると少しも侍の権威はない。他の平民どもと打混じて船中に雑居するのである。
この渡船の例として、たとえば丸亀から大阪へいくら、広島または下ノ関へいくらと定め、その航路が順風であって僅かの日数で達しても、またはいかほど日数が掛っても、最初定めた船賃に増減はせない。そしてその間三度の食事も一切船の賄いであった。
私は既に船宿で食事をして乗ったが、夜に入っては船の蒲団を借りて寝た。僕も隣へ寝た。その周囲には知らぬ
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