いる。そして、過去に既に修得した技術や知識や、豊富に貯蓄された財産やによって、人生を心のままに享楽した後、多くの子孫を残して安楽に死ぬことが出来るのである。
 だが人間の生態では、この順序が逆になってる。我々は人生の青春時代に、過剰の情慾に悩みながら、不断の休みなき勉強と修業をせねばならない。そして漸《ようや》く準備が終り、一人前の人間として、充分の知識や財産を蓄《たくわ》えた時には、もはや青春の美と情熱とを失い、蝉《せみ》の脱殻《ぬけがら》みたいな老人になっている。昔の明治時代の学生は、「少年老い易《やす》く学成り難《がた》し。一寸の光陰|軽《かろ》んずべからず。」というような文句を、洋燈《ランプ》の笠《かさ》に書きつけて勉強した。だが彼らの書生は、二重の意味で悲哀であった。なぜならその言葉は、再度来ない青春の日の楽しさを、空《むな》しく仇《あだ》にすごすことによって、老年の日の悔《くい》を残すなという意味を、逆説的に哲学しているからである。
 しかしさすがに西洋人は、人生を享楽することの秘訣《ひけつ》を知ってる。彼らの学生生活は、一方に学問を勉強しながら、一方にスポーツをしたり、音楽を楽しんだり、異性とダンスをしたり、恋愛を語ったりすることで、青春の若い時代を、相当に享楽することができるのである。今の日本の学生らは、こうした西洋のカレッジライフを輸入している。だが昔の学生や青年らは、全くその青春時代を禁圧されてた。封建時代は勿論《もちろん》のこと、明治時代に入ってさえも、我々の国の若者たちは、全くその「青年の日」の自由と楽しみを奪われていた。彼らにはスポーツもなく、ダンスもなく、恋愛もなく、そして売春婦以外のどんな異性にも、殆んど接することができなかった。封建時代はもっとひどく、すべての少年や青年たちが、老人と同じように教育され、四書五経等の経書《けいしょ》によって、すべての青春的なる自然性を抑圧され、一切の享楽を悪事として禁罰された。
 しかしこうして育った日本人が、一生を通じて、西洋人より不幸であるとは考えられない。なぜなら彼らは、老後において妻子|眷族《けんぞく》にかしずかれ、五枚|蒲団《ぶとん》の上に坐って何の心身の苦労もなく、悠々《ゆうゆう》自適の楽隠居《らくいんきょ》をすることができるからだ。反対に西洋人は、老年になってからみじめである。子に親を養育する義務がなく、社会に敬老思想のない外国では、老いて生活力を失った人々が、家庭からも社会からも全く廃人扱いをされてしまう。こうした寂しい老人や老婦人らが、養老院の一室で骨牌《カルタ》をしながら、互に慰め合ってる異国風景を、外国映画のスクリンで見る時ほど、西洋という国の悲しさと味気なさを、沁々《しみじみ》と思わせることはないのである。
 要するに初め善《よ》きものは終が悪く、終善きものは初めが悪い。終始一貫して善い人生などというものは、西洋人の工夫した社会にもなく、東洋人の道徳する社会にもない。「年を取るてえと、旨《う》めえ物を食うより楽しみがないのに、歯が悪くなるから、だんだん旨めえ物がなくなっちまあ。こんなべら棒な話ってあるかい。」と、老優|市村羽左衛門《いちむらうざえもん》が憤慨したのも、西欧の文人フランスが嘆いたことも、所詮は人間のために、神が万物を造ったという聖書の記事を、人間のエゴイズムに前提した苦情にすぎない。本当のことを言うと、神は人間の幸不幸など初めから考えてはいないのである。万物の玄牝《げんぴん》たる自然の母は、一切の生物を生み放しにして、彼ら自らその個体と種族を保存さすべく、生命本能という因果なものを与えてくれた。働く時にも怠《なま》ける時にも、僕らは絶えずその苛虐《かぎゃく》の鞭《むち》に打たれているのだ。そこで仏陀《ぶっだ》やショペンハウエルの教える通り、宇宙は無明《むみょう》の闇夜《あんや》であって、無目的な生命意慾に駆られながら、無限に尽きない業《ごう》の連鎖を繰返しているところの、嘆きと煩悩《ぼんのう》の娑婆《しゃば》世界に外ならない。しかもその地獄から解脱するには、寂滅為楽《じゃくめついらく》の涅槃《ねはん》に入るより仕方がないのだ。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、何遍唱えたところでピリヨードがない。
 しかし日本人という人種は、こうした仏教の根本原理を、遺伝的によく体得しているように思われる。彼らは『徒然草《つれづれぐさ》』の兼好《けんこう》法師に説かれないでも、僕位の年齢に達するまでには、出家悟道の大事を知って修業し、いつのまにか悟りを啓《ひら》いて、あきらめの好い人間に変ってしまう。トルストイやゲーテのように、中年期を過ぎてまでも、プラトニックな恋愛を憧憬《しょうけい》したり、モノマニアの理想に妄執《もうしゅう》したりするような人間は、すくなくとも僕らの周囲にはあまりいない。して見れば僕のような人間、初老の年を既に過ぎて、馬鹿げた妄想や情熱から、未練に執着を脱しきれないような男は、日本人としては少しケタ外《はず》れで、修業の足りない低能児であるかも知れない。とにかく老年を楽しむために、まだまだ僕は修業が不足で、充分の心境に達していないことを自覚している。



底本:「猫町 他十七篇」岩波書店、岩波文庫
   1995(平成)年5月16日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集」筑摩書房
   1976(昭和51)年
入力:大野晋
校正:鈴木厚司
2001年10月11日公開
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