歳なんて年は、昔は考えるだけでも恐ろしく、身の毛がよだつほど厭《いや》らしかった。そんな年寄りになるまで生きていて、人から老人扱いをされ、浅ましい醜態を曝《さら》して徘徊《はいかい》する位なら、今の中《うち》に早く死んだ方がどんなにましかも知れない。断じて自分は、そんな老醜を世に曝すまいと決心していた。ところがいよいよ五十歳になってみると、やはりまだ生に執着があり、容易に死ぬ気が起らないのは、我ながら浅ましく、卑怯《ひきょう》未練の至りだと思う。
 しかしこうした考えを持ってるのは、おそらく僕や堀口君ばかりでなく、一般の芸術家に共通したことだと思う。「芸術家に年齢なし」という言葉は、芸術家が、精神上において永遠の青年であることを言ったのだが、精神上において、永遠の青年であることを欲するものは、同時にまた肉体上においても、永遠の青年であることを欲するところの人々である。肉体や容色の美を財産とする俳優や女優たちが、世の常のいかなる人にもまして、老いを悪夢のように恐れ厭《いと》うのは当然であるが、そんなことに関係のない文学者や詩人たちも、老いを恐れ厭うことの心理においては、決して彼らの俳優た
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