一般的には東洋人の気質であるかも知れないのだ。深山の中に唯一人で住んでる仙人なんていうものは、おそらく西洋人の知らない東洋の理念《イデア》であろう。とにかく僕は、無用のおしゃべりをすることが嫌いなので、成るべく人との交際を避け、独りで居る時間を多くして居る。いちばん困るのは、気心の解らない未知の人の訪問である。それも用件で来るのは好いのだけれども、地方の文学青年なんかで、ぼんやり訪ねて来られるのは最も困る。僕は一体話題のすくない人間であり、自己の狭い主観的興味に属すること以外、一切、話すことの出来ない質の人間だから、先方で話題を持ちかけて来ない以上は、幾時間でも黙っている外はない。だから客の方で黙っていると、結局睨み合ってしまう。そしてこの睨み合いが苦しいのだ。こうした長尻の客との対坐は、僕にとってまさしく拷問の呵責である。
 しかし僕の孤独癖は、最近になってよほど明るく変化して来た。第一に身体が昔より丈夫になり、神経が少し図太く鈍って来た。青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐったり、毒づいたり
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