されて居た。
青年時代になつてからも、色々恐ろしい幻覚に悩まされた。特に強迫観念が烈しかつた。門を出る時、いつも左の足からでないと踏み出さなかつた。四ツ角を曲る時は、いつも三遍宛ぐるぐる廻つた。そんな馬鹿馬鹿しい詰らぬことが、僕には強迫的の絶対命令だつた。だが一番困つたのは、意識の反対衝動に駆られることだつた。例へば町へ行かうとして家を出る時、逆に森へ行けといふ強迫命令が起つて来る。するといつのまにか、僕の足はその命令を遵奉して、反対の森の方へ行つてるのである。最も苦しいのは、これが友人との交際に於て出る場合である。例へば僕は目前に居る一人の男を愛してゐる。僕の心の中では、固くその人物と握手をし、「私の愛する親友!」と言はうとして居る。然るにその瞬間、不意に例の反対衝動が起つて来る。そして逆に、「この馬鹿野郎!」と罵る言葉が、不意に口をついて出て来るのである。しかもこの衝動は、避けがたく押へることが出来ないのである。
この不思議な厭な病気ほど、僕を苦しめたものはない。僕は二十八歳の時に、初めてドストイェフスキイの小説「白痴」をよんで吃驚した。といふのは、その小説の主人公である白痴の貴族が、丁度その僕と同じ精神変質者であつたからだ。白痴の主人公は、愛情の昂奮に駆られた時、不意に対手の頭を擲らうとする衝動が起り、押へることが出来ないで苦しむのである。それを初めて読んだ時、まさしくこれは僕のことを書いたのだと思つたほどだ。僕は少年時代に黒岩涙香やコナン・ドイルの探偵小説を愛読し、やや長じて後は、主としてポオとドストイェフスキイを愛読したが、つまり僕の遺伝的な天性気質が、かうした作家たちの変質性に類似を見付けた為なのだらう。
それはとにかく、これが僕を人嫌ひにし、非社交的の人間にしたことの、一つの最も大きな原因だつた。僕は人の前に出る毎に、この反対衝動の発作が恐ろしく、それの心配と制止観念とで、休む間もなく心を疲らし、気を張りきつて居らねばならぬ。その苦しさと苛《いらだ》たしさとは、到底筆紙に説明することが出来ないのである。しかも表面はさりげなく、普通に会話して居なければならないのである。この忌々しい病気の為に、過去に僕は幾人かの友人を無くしてしまひ、愛する人を意外の敵に廻してしまつた。特に深く交際のない人には、一層発作が出易く危険なので、自然こちらから交際を避け、つ
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