な易筮だが、今日迄の経歴を回顧してみて、未来を推考したところで、所詮かうしたコース以外に、僕の運命の落着く所はないらしい。もう少し年が若かつたら、心気一転、姓名判断の易者にたのんで名でも変へて見る所だが、今ではそんな客気もない。詩人の空想する幸福なんてものは、どうせ現実の世界で実現される筈もないし、僕も今では、たいてい世の中といふものが解つて来たので、まづまづ僕ぐらゐのところが、人間十人並の一生であり、苦楽の損得を差引きして、公平な運命の神様から、平均六〇パーセントを恵まれて居ると思ふので、格別不満とするところもない。
運勢の話が出たから、ついでに気のついたことを言ふが、詩人や文士で、その作品と姓名から受ける聯想のちがふ人は、どうも文壇的に幸運を恵まれないやうである。前にも言つた通り、作家の名前からその作品を表象するのは、心理学上の当然な理由によるのであるが、中には異例的にさうでない場合もある。たとへばその特異な詩風で、大正詩壇に異彩を放つた鬼才詩人の大手拓次君なども、あの妖気をおびた藍色の蟇のやうな詩想や、蛇の卵のやうにぬらぬらと連なつた特殊の詩語や、それから特に、十字架上のキリ
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