してから、この不断の退屈感が消えてしまつた。人は私に問うた。二ヶ月も病床にゐたら、どんなに退屈で困つたらうと。然るに私は反対だつた。病気中、私は少しも退屈を知らなかつた。天井にゐる一疋の蠅を見てゐるだけでも、または昼食の菜を想像してゐるだけでも、充分に一日をすごす興味があつた。健康の時、いつもあんなに自分を苦しめた退屈感が、病臥してから不思議にどこかへ行つてしまつた。この二ヶ月の間、私は毎日為すこともなく、朝から晩まで無為に横臥して居たにかかはらず、まるで退屈といふ感を知らずにしまつた。稀にそれが来ても、却つて心地よい昼寝の夢に睡眠をさそふばかりであつた。もし之れが、実の退屈といふものであるならば、退屈は願はしいものだと思つた。しかもこんな経験は、かつて健康の時に一度も無かつた。
この病気の経験から、私は「無為自然」といふ哲学の意味を知つた。私はエピクロスを知り、老子を知り、そして尚且つストイツクの本来の意味さへ解つた。すべて此等の宗教(?)は、人生に安心立命の道を教へる。そしてこの安心立命に至る手段は、要するに欲望を捨て、義務感を去り、生活に対する一切の責任感をあきらめてしまふこと
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