にあるのだ。既に一切をあきらめる。故に焦燥もなく、煩悶もなく、義務感もなく、真に無為不善で居りながら、しかもまたその無為によつて退屈に悩まされることもない。即ち所謂「悠々自適」の境に達し、安心立命して暮すことができるのだ。
病気が、この種の宗教の真意を教へた。私は病気中、すくなくとも悠々自適に近い心境を体験した。私は無為に居て無為を楽しみ、退屈に居て退屈の満足を初めて知つた。それから、あらゆる一般の病人が、だれもこの心境では同じでないかと考へた。そこでふと正岡子規のことが考へられた。あの半生を病床に暮した子規が、どんな詩を作つたかといふことが、興味深く考へ出された。私は古い記憶から、彼の代表的な和歌を思ひ出した。それらの和歌は、床の間の藤の花が、畳に二寸足らずで下つてゐるとか、枕元にある茶碗が、底に少し茶を残してゐるとかいふ風の、思ひ切つて平凡退屈な日常茶飯事を、何等の感激もない平淡無味の語で歌つたものであつた。
かうした子規の歌――それは今日でもアララギ派歌人によつて系統されてる。――は、長い間私にとつての謎であつた。何のために、何の意味で、あんな無味平淡なタダゴトの詩を作るのか。作者にとつて、それが何の詩情に価するかといふことが、いくら考へても疑問であつた。所がこの病気の間、初めて漸くそれが解つた。私は天井に止まる蠅を、一時間も面白く眺めてゐた。床にさした山吹の花を、終日倦きずに眺めてゐた。実につまらない[#「つまらない」に傍点]こと、平凡無味なくだらない[#「くだらない」に傍点]ことが、すべて興味や詩情を誘惑する。あの一室に閉ぢこもつて、長い病床生活をしてゐた子規が、かうした平淡無味の歌を作つたことが、初めて私に了解された。世にもし「退屈の悦び」「退屈感からの詩」といふものがありとすれば、それは正岡子規の和歌であらう。退屈もそれの境地に安住すれば快楽であり、却つて詩興の原因でさへあるといふことを、私は子規によつて考へさせられた。
既に子規の歌が解つた私は、ついであの日本文学に於ける大なるスフインクス――自然主義の文学と文学論――を理解することも容易であつた。自然主義の文学論はできるだけ平凡無味の人生を、できるだけ無感激で書くことを主張した。
「平凡を平凡の筆致で書く」
「退屈を退屈の実感で書く」
これが自然派文学の主張であつた。そこで彼等の作品ほど、文字通りに退屈極まる文学を、かつて世界に見たことがない。それらの文学は、じめじめした倦怠無意味の生活を、真にその退屈の実感[#「退屈の実感」に傍点]で書いてゐた。かうした文学がいつたい「何のために」「何の興味」で創作されるのかといふことは、子規のタダゴト歌以上に、私にとつて釈きがたい謎であつた。
病床生活から、私は初めてこの文学の謎を解いた。すくなくとも彼等が、あんなにくだらない[#「くだらない」に傍点]平凡茶飯事を、何のために[#「何のために」に傍点]書いたかといふことの、不思議な心境が理解された。実に病気の間、私にとつて生活の最も平凡無味のことが面白かつた。病気の疲労した脳髄は、終日休息を欲して睡眠をむさぼつた。さうした私の脳髄には、あらゆる刺戟性のものが不快であつた。強い調子や、力のある思想や、感激性の高いものや、詩的情熱の燃えてるものや、すべてその種の読み物や談話やは、生理的に不愉快であり、異常な空虚の感をあたへた。私の疲労した身心は、静かな茶間の一室で、鉄瓶の湯の煮える音を楽しんだ。妻や近所の細君たちが、愚にもつかない日常の世間話をしてゐるのが、何よりも興趣深く、且つ恍惚とした詩情にさへ思はれた。それらの平凡無味なタダゴトが、いつも私を心ちよい夢の恍惚にさそふまで、特殊な俳味的の芸術心境を感じさせた。この体験から、私は子規の歌がわかり、自然派小説がわかり、その他いろいろな事が解つて来た。
底本:「日本の名随筆28・病」作品社
1985(昭和60)年2月25日第1刷発行
1996(平成8)年2月29日第16刷
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第一〇巻」筑摩書房
1975(昭和50)年9月発行
入力:遠藤貴
校正:今井忠夫
2001年1月22日公開
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