字通りに退屈極まる文学を、かつて世界に見たことがない。それらの文学は、じめじめした倦怠無意味の生活を、真にその退屈の実感[#「退屈の実感」に傍点]で書いてゐた。かうした文学がいつたい「何のために」「何の興味」で創作されるのかといふことは、子規のタダゴト歌以上に、私にとつて釈きがたい謎であつた。
病床生活から、私は初めてこの文学の謎を解いた。すくなくとも彼等が、あんなにくだらない[#「くだらない」に傍点]平凡茶飯事を、何のために[#「何のために」に傍点]書いたかといふことの、不思議な心境が理解された。実に病気の間、私にとつて生活の最も平凡無味のことが面白かつた。病気の疲労した脳髄は、終日休息を欲して睡眠をむさぼつた。さうした私の脳髄には、あらゆる刺戟性のものが不快であつた。強い調子や、力のある思想や、感激性の高いものや、詩的情熱の燃えてるものや、すべてその種の読み物や談話やは、生理的に不愉快であり、異常な空虚の感をあたへた。私の疲労した身心は、静かな茶間の一室で、鉄瓶の湯の煮える音を楽しんだ。妻や近所の細君たちが、愚にもつかない日常の世間話をしてゐるのが、何よりも興趣深く、且つ恍惚とした詩情にさへ思はれた。それらの平凡無味なタダゴトが、いつも私を心ちよい夢の恍惚にさそふまで、特殊な俳味的の芸術心境を感じさせた。この体験から、私は子規の歌がわかり、自然派小説がわかり、その他いろいろな事が解つて来た。
底本:「日本の名随筆28・病」作品社
1985(昭和60)年2月25日第1刷発行
1996(平成8)年2月29日第16刷
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第一〇巻」筑摩書房
1975(昭和50)年9月発行
入力:遠藤貴
校正:今井忠夫
2001年1月22日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング