ちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活《ライフ》の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。
郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢや[#「のすたるぢや」に傍点]だ。(『若草』1929年3月号)
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墓
これは墓である。蕭条たる風雨の中で、かなしく黙しながら、孤独に、永遠の土塊《つちくれ》が存在してゐる。
何がこの下に、墓の下にあるのだらう。我我はそれを考へ得ない。おそらくは深い穴が、がらんどうに掘られてゐる。さうして僅《わず》かばかりの物質――人骨や、歯や、瓦《かわら》や――が、蟾蜍《ひきがえる》と一緒に同棲《どうせい》して居る。そこには何もない。何物の生命も、意識も、名誉も。またその名誉について感じ得るであらう存在もない。
尚《な》ほしかしながら我我は、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我はいつ
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